2017/09/03

インタビュー(4)寺嶋剣吾


語り手:寺嶋剣吾 聞き手:田川莉那
取材日:2016年4月11日

寺嶋剣吾(てらしま・けんご)

1988年福井県生まれ。「無縁であるもの」を私自身の身体によって結びつけること、または結びつけようと努力することで、ドラマツルギーに関する作品を制作している。『Open Diagram』(2016年)では、映像作品の発表のほか、展示会場である小学校で窓を取り外そうとする行為を行った。


                              

Open Diagramへの関わり方と出展作品について
田川:『Open Diagram』出展作品についてお話しください。
寺嶋:2点出展しています。南校舎二階の部屋で。
僕はモノとしての作品を小学校に持ってくるということはせず、
教室のはめ殺しの窓を外そうとすること、
そして、それを定点で記録し続けるということをしました。
撮影は2月3,4日くらいから始めました。
南校舎の1階のトイレ前の廊下には、
教育委員会の物品が乱雑に置かれていて。
そこには別の映像を置くことを決めていました。
崇仁と沓掛であるルールを決めて撮影をしていたものです。
そこで展示した映像は、JR桂川駅の側にある高い場所から撮影したものです。
桂の方で新築のビルで、クレーンで吊られていたパイプ椅子の塊のようなもの…
あまり物には意味はないのですが、
デジタルズームで塊に寄れるところまで寄って、
そして、引けるところまで引いて、そこからまた寄るというもののループです。
田川:『Open Diagram』はアーティストランの展覧会でした。
つまり、寺嶋さんは企画者でもあり出展者であったので、
1年近く作品制作以外にも関わりのある展覧会だったと思いますが、
寺嶋さんはどのように関与してきましたか。
寺嶋:『still moving』を見に行って、
大学で仲のよい熊野さんや黒木さんやあと本田くんが手伝っていて。
高橋先生のくるくる回る円盤のある和室で
元崇仁小学校で展覧会をやることを本田くんから聞いて
「面白いですね」って話して。
しばらくしたら具体的にやろうということになった。


※『still moving』:京都市立芸術大学移転を契機に企画された展覧会。2015年3-5月に元崇仁小学校および、周辺地域にて、国内外のアーティストが参加し開催された。会場設計に建築家の長坂常氏が参加した。
田川:その時は、元崇仁小学校で展示するだけということで考えていたんですか。
寺嶋:企画は練り込むんだろうなとは当然思っていたのですが、
なぜ軽く「やろう」と応じたのかというと、
僕はホワイトキューブというところよりも、
自分の作品・行為をやりやすいのは
生活の中で本当に使われていた場所ですね。
小学校の廊下など、人が歩いて移動しながら何かを見るということが
面白いと思っています。
ホワイトキューブだと、
基本的に壁にバン、バンと映像を投映することになる。
それでは満足できなくて。
1つの映像を見ながら、他の映像は見えないような、
能動的に映像を見に行かなくてはいけないような
死角のあるような展示をしたいと思っていました。
田川:それは観賞者を没入させたいのですか?
寺嶋:1つの視点を以って見ると、他のものが見えなくなること。
それは当然なことですが、このことに僕は惹かれます。
例えば、修士1年のときの映像作品は、
だだっ広い空間での展示だったんですが、
映像が俯瞰で全て見えるのが嫌だった。
そこで壁を立てたりして。
もっと前だと、それ自体しかやっていなくて。
でかい構造を作って、「人が屈まないと入れない箱」、
8m8mのなかに、写真や映像が置いてあるという。
外側も歩けたり、なかに入れたりという。
映像における2つの死角
田川:フライヤーのプロフィールに
「ドラマツルギー」と書いていましたが、
今までも、場所を選ぶということや
観賞者がどう動くかということが
作品に組み込まれていたんですね。
寺嶋:あれだけで説明しているというような言葉でもないので、
よいかなと。
田川:映像を撮る時に、
寺嶋さん自身が映像内で動くこともあるからだと思いますが、
定点撮影をしていますよね。
桂の方も、定点撮影のループになっている訳ですが。
定点で撮るというルールを決めているんですか?

寺嶋:撮影のやり方は毎回違います。
手持ちで、動いているものも多いです。
田川:何が起こったかを記録で撮る時に、
定点であることは、映像史的に視点の固定として批判されたり、
それの超克として多視点映像が良いという話が生まれたり、
カメラの台数が多ければ多いほど真実なんだ
というような写真史の話もあると思うのですが。
それはあまり問題ではないのかなと思っていて。
つまり、寺嶋さんは映像というよりも演劇なのかなと。
寺嶋:窓を選んだことも、定点を選んだことも、
まさに視点の固定を明快に視覚化させるためです。
多視点映像であれ何であれ、他者が少しでも手を加えたものが
視点の固定を超克することなんてできません。
南館の1階の方は、
最初は沓掛と崇仁で撮影した映像を小さなモニターなどを
教育委員会の物品の間などに散らして配置していくことを考え、
同時に全体は見えないように考えていて。
定点であるということも一緒なんですよ、死角なんです。
一箇所をズームで撮ると、その他が見えない。
そういう構図を使いつつ、何もとらえてはいないのですが。
田川:死角というか、写っているけど
分からなくなっているところが寺嶋さんの映像にはあって。
それは、寺嶋さんが作品を作る時にどれくらい演技をしているか、
ということなんです。
寺嶋:それはずっと考えていて。
映っているけどなにか別のものに見える
窓を外すことにおいては、全てが演技とも言えるし…。
別に、窓を外す必要なんてない。
それは、一回決めたから、言い続けなきゃいけないと。
ある地点を越えたらモノごとは、
自分の予期していなかった方向からブロックを投げつけてきます。
もう、その時々の僕自身はしんどいんです。
それは個人としての戦いでもあり、
もっと大きなものとの戦いでもあります。
表面的には演技をしているとか、そういうことは
窓を外すためのやりとりをしていた
元崇仁小学校の管理人さんとかには言わない。
それは全て僕のこととして帰ってくる。

「個人的」という意識から考え直す観賞と作品
田川:全ては「自分がやったこととして受け入れる」ことにしている、
ということですか。
寺嶋:そうじゃないと、自分は無害な立場から
自分とは無縁な問題に外野としてコメントするみたいなことになるので、
周りの人もしんどくなるけど…、
なるだけ、できるだけしんどい方法でやりたいなと考えています。
田川:そのしんどさの質って、
「自分に負荷をかける」ということが
基準になっているんですか。
寺嶋:「自分に負荷をかける」というような
漠然としたことを基準にはしていません。
自分の作品と生活が乖離していたら、
僕の考えているしんどさはそれほど感じないと思う。
そういうことに無自覚に閉じられた中で苦悩し、
それが作品というモノとして
間接的に外部と接触することはあり得るし、
そういう人たちになにも言いませんが、「弱いな」と思う。
僕は自分自身の「肉」を通して普遍性を実現させたいんです。
それが僕のすべきことであり基準です。
普遍性というのは皆の「肉」のことです。
みんなの「肉」…。
田川:その議論はあると思うんですね。
そこには加虐じゃなくて被虐性、受難というか。
加虐の作品は多いと思う。
写真家は少なくない。
また、それを逆に、
加虐をしている自分を
「これが受難なんだ」と吐露するという構造もある。
寺嶋:本当に支障をきたす、ということもある。
難しいのだけれども、それについて今すごく考えています。
搾取だけのものは結構多い。
そうならないために、
事柄の中に自分がどう入っているかを
考えなくちゃいけない。
それは、同化することではなくて…。
そこに存在して、個人的に何かをいうというよりも、
それ自体を捉えるということ。窓を外すときも、
別に批判をしているわけではなくて、
元崇仁小の施設管理人さんの場合も、
人にはその場その場における立場があって。
それらは、別個で1人の人間の中に存在している。
そして自分の中にも乱立している。
その中での、「窓を外します」という行為と宣言。
その二つが違えば、起こることがまた違う。
僕は、ずっとそこにいて、
管理人さんと話をして、実際に二人で窓を外そうとしたり、
「やばいんじゃないか」って話したりして。
そこで管理人さんや自分の中にも、
そこに関わってくる人にも揺らぎが見て取れました。
それ以前のこともたくさん起こっていましたけど。
それらすべてを定点で捕らえられたとは思っていません。
田川:自己矛盾が写り込んでいたかどうか、
それが展示で示せたかという次元もありますよね。
あと、作品から私が感じていたことがあって。
それは「窓を外す」ために、窓の周りのものを解体していって、
それが崇仁地域で京芸関係の展覧会が
行われることが常態化してきたこと以上に、
「芸大が移転してくること」、「崇仁小学校がなくなること」に
現実味をもって重なって見えたということです。
それは意図していたことですか、
それとももっとスマートに窓を外す予定だったのですか。
寺嶋:なんというんでしょうか、
いろんな方向から考えてはいるので。
そういうのもあるし、
窓自体がフレームだ、ということもある。
もっと引いてみたら、
あそこが閉校した小学校であるということもある。
田川:あの作品では、「窓を外す」ということを
人が目の前にした時の役割や欲求や拒絶感や、
それらの情動と役割との乖離を見せることがあって、
さらに、寺嶋さんが引いた目で
全体を見て多面的に考えていたとすると、
いろんな意味に受け取られてよいのか、
もう少し絞った見え方になったほうがいいのか
どちらでしょうか。
寺嶋:最近のものは、いろんな意味にとれるものが多いです。
以前の作品は、
見え方が絞られるようにやっていたものもあったのですが、
自分の捉え方も変わってきたりして、
捉え方を狭めてしまうことは難しいなと。
そもそもやっていることが作品と呼べないというか、
単に体験だと思うんです。
体験というのは…、
僕や、あそこで窓を外すということに巻き込まれた人には、
体験に近いものがあって。
でも、展示となった時に、それは体験ではなくて、
ひとつの見世物として受け取られる。
まだ、その点が弱いと考えている。
田川:寺嶋さんの言う弱いというのは、
「搾取」という構造が観賞において起こった時のことですか?
寺嶋:そうですね、観賞者自身さえも、
「擦り傷だらけになる」ような還元のされ方。
「ただ変な人たちを見にに来た人」という二項対立にしたくない。
それは、僕が何かを作る時にもそうでなくてはいけないし、
それを見せる時にもそう。
その段階ごとに
それは注意していかなくてはいけないし、
もっとやらないといけなかった、と考えていて。
今回も、ずっとあの部屋に
僕が居続けるべきだったのではないか、とか。
田川:観賞者も傷だらけになるというのは、
1960年頃からちらほら出てくると私は考えていて。
オノ・ヨーコの《カット・ピース》とか。
あれは、観賞者は二重になっていている。
そのパフォーマンスの場でオノ・ヨーコをみている人と、
その映像をみている人。
パフォーマンスの場にいた観賞者は、ただ見るのみならず、
オノ・ヨーコの服を切るという参加をしている。
そこで、オノ・ヨーコは目を見開き、潤ませている。
服はどんどん切られていく。
見世物という美術の在り方が
パフォーマンスの観賞者や
参加者を含めた記録映像として開示され、
それを美術館という見世物小屋で見る観賞者も
同時に糾弾されるんですね。
「今あなたは、どのような心持ちで
観賞を行っているのですか」というふうに。
ただ、それをオーガナイズしているのは
オノ・ヨーコでもあるので、
ハサミを持った参加者と
オノ・ヨーコの関係状態はなかなか複雑で、
自身を含めた美術家という存在も糾弾されています。
それは、またアイデンティティや性別などの
大きな問題意識でも動いている作品だと思います。
このような問題を明るみに出すようにやっていたと
私は考えています。
そこで、寺嶋さんは今、どのように「観賞者」に対して
「作家」として作品を作るのかということを聞きたいのです。
寺嶋:僕はオノ・ヨーコと比べたことはないですが、
性差については、
個人個人で誰もが抵抗を持ってきていると思う。
そういうものが、
自分の中の自己矛盾だと考えています。
今は、のっぺりとした日常のなかで、
それぞれのなかにか変えてしまっている。
なので、塊としての社会的な問題を前提として
何かをすることは弱いなと考えていて。
それを間接的にやることは意味がない。
何か個人を通して言えたほうが今は強い、
ということですね。
田川:寺嶋さんが以前「窓を外すということで
抽象的に”移転と崇仁地域”、”崇仁、沓掛”の関係性を考える
ということをしているのではなくて、
”僕が個人的にここに来て、窓を外した”ということなんだ」
ということを仰っていたと思います。
そこで寺嶋さんが「個人的」という言葉を
しっかり使っていたと感じていて。
なるほど、そのような時代性を負っている
「観賞者傷だらけ問題」なのですね。
寺嶋:舞台をけっこう見に行くんですけど、
ほとんど何の傷も受けずに帰ってくるんですよ。
感動とかはあるけど。
それでいいのかもしれないけど、
本当に、こっち側と劇は向こう側、という感じで。
どれだけ舞台の上で激しくぶつかり合っていたとしても、
何もそういう意味での高揚はほとんどなく、
ひとつのダンスとしてのただのルールというか。
そうじゃないようにしようと、みんな頑張ってはいるけれども。
田川:演劇はそもそも没入が阻害されている。
寺嶋:でも、僕は演劇をやりたいと思っているんですよ。
まだ深くは言いませんけど。

問題意識の変遷について
田川:寺嶋さんは、搾取と被搾取、
それ以外の在り方について、いつから考え始めましたか?

寺嶋:初めからではありません。
僕は、福井大学というところで教育学を勉強していて、
入りたての時はペインティング、油絵をしていた。
その時は、そんなにはっきりとそんなことは考えていなかった。
けど、半年くらい国外へ旅行に行っていた時期があって。
24か国ぐらいですけど。
アジアとか中東とかヨーロッパ、南米、アメリカなどを転々として。
その時に、多分ちょっと方向が変わったというか。
そこから帰ってきてから絵を描かず、
身体を使ったものを写真に撮るようになり、映像に変わってきました。
田川:どのようなことを感じ、そうなったということはありますか。
寺嶋:複雑なものなんですよ。
どんな国に行っても、ギャラリーや美術館に行って、
数を見てきたんですけど…。
そのような中で作品を見ていても、
何も自分に還元されてくるものはほとんどなくて、
むしろ、そのスペースからそこから一歩出たところで、
何か変な人に出会ったりとか、
偶然に違う国で同じ旅行者に出くわしたり、
…そうじゃないものもあったんですけど。
そこで自分の頭の中がクリアになってきて、
何も自分に還元されてこないようなことを
自分もやりたくないと思って。
なので、自分の身体を使うというのも。
田川:切り離さないということですよね、自分自身から作品を永遠に。
寺嶋:そうですね、切り離されていないといえば、
全部切り離されてはいないかもしれないけど。
田川:将来的に作品だけが発見された時、物理的に。
作品と制作者が紐づくという可能性は残すという。
たとえば縄文土器のように、作った人と作られた物が分かれてるという考え方が
美術作品にはありうるとして、
作品というものを寺嶋さんは、
一段階目からは、象徴や比喩にしないのかなと。
寺嶋:比喩や象徴になっていますが、
自分を使うというのは、いろいろあります。

他者と関わるということにおける作品の構造について
田川:寺嶋さんの作品は、ご自身だけでなく、
寺嶋さんが作品の中で様々な人と関わると思うのですが、
作品の中で人々を招き入れるときに、
契約をするという方法があると思います。
美術の中では大きく分けて、任意のもと行う、
相手の好意に関わらずとも契約によって遂行してもらう、
勝手に巻き込んでしまう、ということがあると思います。
寺嶋さんは、ご自身ではどれだと思われますか?
寺嶋:難しいな。それは、もちろん考えていて…、
契約は、していない。契約はしてしまうと、
もう、何の矛盾も生じてこないんです。
了承するということは、
何か一つの立場でそれをよしとすることで、
その視点しか出てこない。
そうしてしまうと、やろうとしていること自体が
消えてしまうというので。
でも同時に、それをしないということは、
加虐というものにならざるをえない。
それは微妙なんです。
たとえば、個人的な関係ができてくると、
そういうふうな巻き込まれる人たちと、自分の中で、
しんどくなっていく。
その状況自体が。
完全に、許可を取っていないとも言い切れるし。
田川:たとえば展覧会のメンバーはある意味、
許可ではないが、了承していますね。
寺嶋:あれはちょっとずるいやり方をしている。
カメラをど真ん中に置いていて、あそこを撮っている。
「撮っています」というふうにしている。
あそこに関わるためには、撮られる側にならないと、
あそこには立ち入れない。
外側から何か言うことができない、という構造にしていて。
僕が言葉で言わなくても、あれはそのようなことになっている。
そのようにして、許可を出す。
それは結構重要なことで、
それは自分がニュースキャスターやコメンテーターにならない、
自分がその中に入っていかなくては
何も言うことができない、ということ。
それは別に僕だけじゃなくて全員そうだという。
映らないように、廊下の側から言っていくだけの人もいましたね。
その構造は、『Open Diagram』以前の作品には
持ち込んでいませんでした。
田川:企画段階では出展予定だったけど、
実際には『Open Diagram』では展示されなかった
ベンチの作品はどうなのですか?
撮影はしていましたか?
寺嶋:撮影していました。
ベンチは、…なんですかね、微妙だったんですよね。
あまりにも複雑になりすぎて。
その頃のやつは、制度を利用して、
人と無理やりつながることで、個人的な関係に持ち込んで、
それによって、僕が移動していくことをやろうとしていたんです。
ベンチを置いて、ベンチに人が座るまでずっと待って、
座って、頼んで、運んで、座って、頼んで。
ということが、ちょっと違う感じがしたんですよ。
その場で起きたことは、面白いことがいっぱいあったんですけど、
映像にするときに、すごく難しくて。
さっきの許可の話になってきて。
手順がすごい複雑なんですよ。
まあ、それが面白いと思ったので、
それを繋いで記録しようと思っていたんですけど。
許可の段階がいろいろあって。
「これ僕のベンチなんです」って無理やり引き込む段階と、
「運んでください」という段階と、
その外側に、それを「記録している人がいます」という。
しかも、その中で話されるということは、
基本的に、僕のやっていることの説明だから、
けっこう対等じゃない中で撮られていて。
そこまで自分の中の矛盾みたいなものが、
僕以外の人の表面をから出てくるというまでいかなかった。
田川:ベンチについて思ったのが、
傷だらけにはならないはず、と思って。
傷だらけにはならないけど、
そこにはいろんなことが
映り込む構造になっているだろうなと思ったし、
寺嶋さんがベンチと移動していく時、窓と違って、
ベンチは象徴的すぎないところがいいなと思っていました。
寺嶋:まぁ、難しいですよね、ベンチですから、
誰かと二人で座って話すという。
田川:そこだけに思われていまう可能性も逆にあるということですかね。
寺嶋:僕はそれをやった時には、
演技について考えていました。
そもそも、ベンチを置くということ
、嘘なんですけど…
つまり、パブリックなベンチではない。
だけど、それを、持ち上げて、持ち去るという時に、
周りの人は、僕と関わった人以外の人からすると、
本当に置いてあるベンチに見えるから、
泥棒と思われて、すごい目で見られたりして、
それは僕の中で面白くて、
そのことをすごく考えていました。
僕はベンチを購入するところから映像で撮っていたんで、
それとか見せたり、レシート見せたりして、
それは説明できないことじゃない。
だけど、もう、その映像やレシートとかの
どこに信頼性があるのだろう、と。
ドキュメンタリーとか全部本当のことじゃないんですが、
そっちに行ってしまいましたね。
嘘というか、自己矛盾みたいなもの、
そういう嘘をはらんでいるということで、
つながってくると思います。
田川:作品化って難しい。
ベンチで当初の予定に反して出てきた、面白いと思った部分、
例えば、寺嶋さんと関わっている目の前の人における認識と、
その外にいる人々から見た認識の異なりという構造などは、
今後の作品のテーマになってきますか?
寺嶋:わかりやすく、これをテーマにしよう
ということはしなくて。
…やったほうがいいのかもしれませんが。
修了制作の時、ベンチの作品の時に浮上した問題を
すごく考えていました。
多分、僕が、あれを撮ったり組み合わせたりしていることと、
観賞して考えた人との乖離があると思うんです。

映像における観賞についてと得たもの
田川:寺嶋さんは、作品化されたものを見る人と
作った人の認識のその乖離についてはどう捉えていますか?
寺嶋:修了制作の展示は、いくつかの映像が点在しているもので、
それを関連付けて見る人もいれば、
全くバラバラのものとして捉える人もいると思います。
時間によって上映されているシーンがそれぞれ異なっているので、
シークエンスは、その時に、見た人の中だけで組み上がっていく。
それが、勝手に編集されて捉えれるということが、やりたかったというか。
あれは、1つのパフォーマンスを作るまでの過程と、
最終的にフレームで綺麗にカットしたような状態を対比させて、
観賞者が見るのは大抵、綺麗にカットされたもの。
それまでの内容はすごく抽象的。「いつも見ている側の人」からしたら。
だから、その過程の中に、嘘を挟んでいって、
でもそれが、本当のこととして捉えられてしまう、
ということについて考えようとしていました。
だけど、それは別にやらなくても一緒だったかなと。
田川:最後に、寺嶋さんはこの展覧会を通して
得たものなどはありますか。
寺嶋:管理人さんがあそこにいたから、
僕の作品は、成り立ったかなと。
こういうやり方もできるんだなと思いました。
自分の事を話すのは難しいですね。
人が聞くのは僕ではない、語る僕は消えています。
「痛い」と言った途端、
それを言った私はみんなに属している訳です。