語り手:黒木結 聞き手:山田毅、田川莉那
取材日:2016年4月12日
黒木 結(くろき・ゆい)
1991年大阪府生まれ。日常における「違和感」への向き合い方を模索しながら作品制作に取り組む。『Open Diagram』(2016年)では、「同じ町を歩いていても自分と友人とでは見るものも持つ感想も違う」ということに着目し、黒木自身が見ている「町」を、それとは違う見方をする人と共有するための作品を制作する。
『Open Diagram』の出展作品について
山田:まず最初に、今回の『Open Diagram』の展覧会では
どんな作品を出していましたか?
黒木:わたしが今回出した作品のコンセプトを簡潔に言うと、
どこの土地もノーボーダーに移動できる想像力を人は持っている、
ということです。
価値観を越えられる、という。
田川:何を具体的にしたのですか?
黒木:まずしたことは、
京都市立芸術大学から元崇仁小学校まで歩くことでした。
自分は普段から知らない土地や普通に歩いているときに、
見ている、注目しているものを写真に撮っていて、
それをいつも通りやりました。
その後に元崇仁小の周りを京都出身の友達と一緒に歩いて、
その友達が注目する崇仁地区の景色の写真を撮ってもらいました。
撮ってもらった写真から抽出し、それをもとにドローイングを描いて展示しました。
自分がひとりで地域を歩いて撮影した写真も同じように、
写真をもとにドローイングを描きました。それらを一緒に展示しました。
あと、歩いたルートを
実際の展示場所になった6年1組の教室の床に、
道を白いテープで引いて、建築用の水糸で歩いたルートを示し、
コンセプトなどを説明した文章を一緒に展示して、
窓際の空間(二重窓の窓と窓の間のスペース)に、
窓から外を見た時にどこに京都芸大があるかを方位磁石を使って示す、
という基本的に4つの要素で展示場所を構成して作っていきました。
山田:歩いたの?
黒木:歩きました
山田:何分くらいかかるんですか?
黒木:大学から崇仁まで?
田川:何回かに分けてたよね?
黒木:3往復くらいはしました
山田:だけど、今日はこのポイントからとかってこと?
黒木:自分が普段使ってる道を歩こうと思っていたので、
あ、普段使ってる道って桂駅までなんですよ。
京芸のある沓掛から桂ぐらいまでしか歩いたことなかったので。
まず桂まで行って、で、桂出発で別の日に歩いたりとかしてました。
一回、沓掛から崇仁まで通しで歩いたんですけど、
めっちゃしんどかったです。
山田:いや、めっちゃしんどいよね。
黒木:2時間ちょいくらい。
まあしんどいんですけど、思ってるほどしんどくなかったんですよ。
山田:でも2時間ちょいで着くんだ。
田川:10kmくらい
黒木:崇仁を友達と回ってた時も同じくらいの時間歩いてました。
山田:展示からは歩いた時の黒木さんの感想みたいなのは
読み取れないわけじゃないですか。
それはどうなんですか?
黒木:歩いた感想?(笑)
いやでも、東京とか別のところに遊びに行ったりする時もわりと歩くんです。
歩くこと自体は好きで、
好きだから歩くっていうことを作品の中に取り入れたんですけど、
今回、最近は歩いてなかった道とか、
バスで通っているけどじっくりは見てない道みたいなのを歩いていた時に、
景色とか全然見てなかったんやなっていうことに気づきました。
自分の面白景色ポイントが何個かある中で、
わりと崇仁の付近も京芸や桂駅の付近も景色に面白ポイントを含んでいる。
けど、バスに乗ってるから見えてなかったり、
見えてても気づいてなかったかもしれない風景とか結構あって、
同じようなものが崇仁の景色にもあって、それが面白いんですよね。
どこに行っても
自分が面白いと思うポイントを含んでいる風景がある
っていうのが面白くって。
自分が面白いと思うポイントを含んでいる風景がある
っていうのが面白くって。
こないだ東京の展示見に行った時の近くにもあったな、とか、
こないだ展示手伝いに行ったところの近くにもあったよなとか。
その場所に由来しているというよりも、
人がそこに住んでいるからそういう風景がある
っていうのを見つけるのがすごい面白くて。
っていうのを見つけるのがすごい面白くて。
山田:例えばどんな風景が黒木さんは好きなの?
黒木:トマソンと、人の家の庭。
山田:庭?
黒木:庭っていうか、ほんとは庭じゃないんですよ。
玄関の前とかに勝手に置いてる鉢植えとか…
田川:発泡スチロールに入ってるのとか。
黒木:そうそうそうそう。あと、ベランダです。ベランダ最高なんですよ。
田川:洗濯物が良いって前言ってなかった?
黒木:はい。洗濯物を変なところにかけてあるのも面白いし、
ベランダを独特な感じで作っているのも面白い。
ベランダも庭みたいになっていて、それが結構面白くて。
個人的なものが露出している状態。
でも本人たちはあんまり露出しているとは思っていないから、
自由にやっているのが見える、とか。
あと窓。中が透けている窓が好きです。
丸見えだと面白くないんですよ。
そういうのを見ちゃう。プライベートが露出している街並み。
山田:そういうのを普段から見てたり
写真を撮っていたから作品に取り入れたと思うんですけど、
今回は更に描いてるじゃん。あれはなんでそうしたの?
黒木:あれは写真のままだと場所特定ができるなと思って。
言いたかったことが、
ノーボーダー、場所なんて関係ない、
どこにでも面白いものはある、ということだったので。
わたしは彫刻専攻なのですが、
油画専攻の人とかがやっているような、
油画専攻の人とかがやっているような、
自分の内面を入れ込んで絵を描くっていうのをやってきていない…、
でも、小手先だけの技術はあると思ってるんですよ。
今回その小手先の技術を使うことによって
全部の絵をフラットにできるかなと思って。
自分の感情を入れなくていいので。
制作方法は、まず最初に写真をざっくりトレースして、
色とかだけ天気に左右されない感じの色にして描きました。
フラットにするためにそういうことをやっているんですが、
細密にちゃんと描くっていうのは、やるっていう。
絵のサイズを写真のL判サイズにしているんですが
それは写真を元に書いているということをわかりやすくするためですね。
この場所を展示会場にしてしまうとはどのようなことか、という反芻
田川:黒板に詩が書いてあるじゃないですか。(※)
あれがある部屋だから最初から選んでたじゃないですか。
それが作品を作っている中で自分の中でそれだけ意識していたり、
意識しなくなったり、しないようにしたりとか。
※:元崇仁小学校の各教室には、最後の終業式の日に担任が黒板に書いた文字が残っていて、その中の1つに詩があった。
黒木:あれは、ずっと意識はしていて。
あの詩、木島始という詩人のもので。
元々、自分が主軸ではなくて
場所をよりよく見るための作品を作ろうと思っていたので、
その場所っていうのはあの教室もそうですし、
崇仁地域っていうのもそうで、だからすごく意識していて。
しかも、誰かが使った教室で、
あの文章って閉校の時からずっと残っている文章なので、
場所を通して
その場所を使っていた人たちの
影っていうのを意識せざるをえなかったし、
その場所を使っていた人たちの
影っていうのを意識せざるをえなかったし、
教室を使うことは本当に正解なのかどうか
っていうのはずっと考えていました。
っていうのはずっと考えていました。
田川:使うっていうのは?
黒木:その場所を展示場所にしてしまうっていうのは
どうなんだろうと。
どうなんだろうと。
田川:それは全体として?それとも黒木さん自身として?
黒木:全体としても、私自身としても。
山田:でも結局そこにしたわけじゃないですか。
っていうのは、何か決め手があったんですか?
黒木:なんか、結局、あそこで展示しますって言っても、
なんか、ああ、あの場所ね、みたいな。
京都の人はみんなそんな感じなんですよ。
出会った京都の人は。
作品に参加してもらった友達は
わりと普通に入ってこれる人たちなので、
作品制作に参加してもらったんですけど。
結局、自分が実際にそこに入り込んで
どういう場所なのかっていうのを見て、
どういう場所なのかっていうのを見て、
どういう人たちがいて、
自分がそこで普通に生活できるかっていうのを
自分がそこで普通に生活できるかっていうのを
見ないとどうしようもないなっていうのは
すごく思ったので。
すごく思ったので。
知らない場所でも知り合いとかがいれば
知らなくても行きやすいじゃないですか。
そういう状態を展覧会の中で作って、
実際に知り合いに来てもらうっていうのが
一番大事だなと思ったので。
一番大事だなと思ったので。
なので展示はちゃんとしようと思って。
元崇仁小学校で展示をしたいと思った最初の理由と、作品の細部における検討
山田:ちょっと話は変わるかもしれないんですけど、
昨日、熊野さんとかにも聞いたんだけど、
黒木さんは元々『still moving』を手伝っていて、
それをきっかけに『Open Diagram』に
参加することになったじゃないですか。
参加することになったじゃないですか。
別にこれじゃなくても制作展もあるし、
でもそこには『still moving』を考えてだったのか、
崇仁地域っていうものに関わってからなのか、
それともまあそれこそ熊野さんとか本田くんとかいたから
楽しそうだったしぐらいかもしれないけれど、
なんかその時はどういうことを考えてたのかなって。
※『still moving』:京都市立芸術大学移転を契機に企画された展覧会。2015年3-5月に元崇仁小学校および、周辺地域にて、国内外のアーティストが参加し開催された。会場設計に建築家の長坂常氏が参加した。
黒木:『still moving』で監視をしていた時に、
最初に本田くんとずっと喋っていて、
ここで展示できたらいいよねって話はしてたんですよ。
「熊野さんと展示できたらいいよねって話をしてるんだ」
っていうのを聞いて、
っていうのを聞いて、
それはいいよねって言っていて。
っていうのは、『still moving』の監視のお手伝いをする前に、
移転のことを考えてたんですよ。
以前、自分のアルバイトしていたところが
京芸生をずっと雇っているバイト先なので
京芸生をずっと雇っているバイト先なので
洛西の人たちが移転のことをどう思っているのか
聞きやすかったんですが、
聞きやすかったんですが、
地域の人たちは移転について
わりと批判的な物言いをするので、
わりと批判的な物言いをするので、
それがすごく気になっていました。
でも実際に行ってみたら
特に変わったことはなくて、
特に変わったことはなくて、
そこのギャップってなんなんだろうっていうのを考えてて。
『still moving』を見ていて、
そこについて真剣に考えている作家もいれば
自分本意に場所だけ使っている人もいて、
なので、展示自体は
わたし個人としてはあまりいい展示だったとは言えなくて。
わたし個人としてはあまりいい展示だったとは言えなくて。
で、しかも学生がいなくて、
破天荒な人たちが結構展示していたのと、
破天荒な人たちが結構展示していたのと、
場所をどう使っているのかっていうのが
すごく気になってて。
すごく気になってて。
教室ってそんなに真っ白に塗り替えてしまっていいのかな、とか、
出展作家に「黒板の字消していいですか?」って
おっしゃった方がいたらしいんですが、
その発言がすごく疑問で、
おっしゃった方がいたらしいんですが、
その発言がすごく疑問で、
「これが移転してくる芸大生なんだ」って
思われたくなくて、
思われたくなくて、
自分が関わった方が
もっといい展示ができるんじゃないかなっていうのを
もっといい展示ができるんじゃないかなっていうのを
本田くんと喋っていて、
本田くんもわりとわたしと同じような感じだったので、
本田くんもわりとわたしと同じような感じだったので、
できそうなんじゃないかなと思って
展示したいっていう話をしていました。
展示したいっていう話をしていました。
山田:今の話でもちょっと出てきたと思うんですけど、
展示をするって時に、展示場所との…、
小学校の校舎自体の扱いについて
そこれそ床に刺すのにどんなピンを使うかとかさ、
黒木さんは結構考えていたと思うんですけど、
それはどういう考えなわけ?
黒木:例えば、ギャラリーで展示をする時も
その場所は他人がお金をかけたり、いろんな労力を使って
ギャラリーとして成立させているものだから、
大事にしたいっていうのは大前提にあって。
わたしの中で、
わたしの中で、
元崇仁小学校は、
より一層「他人のものである」という意識が強くて、
より一層「他人のものである」という意識が強くて、
その「もの」っていうのは所有しているというよりも、
誰かの思い出の場所であったりとかそういうことです。
当時の小学生たちが、自分たちが通っていた教室とかが
今こういう状態になっていることは
どう思うんだろうと考えていました。
どう思うんだろうと考えていました。
黒板の文字とかが残っているのを見て、
わりと大切にされているのだなと思ったので、
その気持ちはちゃんと大事にしないとだめかなと思って。
それを意識しながら作ることは重要だと思って、
それを意識していました。
山田:それって多分、自分の作家というスタンスにもよると思っていて、
今回作家によってその考え方が顕著に違ったわけじゃないですか。
それが『Open Diagram』ではあったんだけど、
そのへんに関しては、
今はどういうふうに思ってるんですか?
今後もそのような他者と展覧会をやる時に
そういう問題っていっぱい出てくると思うんですけど、
展覧会の他の作家と関係を築いていく時に
黒木さんにとっては大きな問題であり、
けっこう重要なキーワードかなとは思ってるんだけど。
黒木:いやあ、もう、だいぶうんざりしてしまって(笑)。
なんか、何言っても結局それは人それぞれの考え方だから
ってけっこう言われてしまって、
ネガティブな意味では言ってないと思うんですけど、
でもそれをネガティブにしないためには
もっと作品コンセプトというよりは
別の話をしないといけなかったんじゃないのかなと。
それこそ、その場所を作品設置にあたって
具体的にどう使いたいかっていう話を
もっとしなきゃいけなかったんじゃないかなと思って。
結局、どう考えてたのかなっていうのが
今分からないっていうのが一番問題なんじゃないかなと思って。
山田:それぞれの作家がってこと?
黒木:そうです。他の人の展示を見て、
自分と場所の使い方への考えが違っててショックを受けたり。
人それぞれだしっていうこともあるし、
展示が進んでいる以上何も言えないなと思っていました。
山田:それって、黒木さんにとって必要なことって、
それを直させることなの?それを議論することなの?
一方では作家はそれぞれ表現も違うし、考え方も違うし、
多様性があるっていうのは、
頭ではわかっていると思うので、
結局どっちが重要なのかなって。
黒木:議論が大事なんだけど、
…でもその議論ができなかった。
っていうか、
自分の意見を主張することさえもしなかったんですよね。
それは言いたい対象の人たちが
自分がそういうことを
言いにくい人たちだったっていうのもあるし。
言いにくい人たちだったっていうのもあるし。
展覧会とは何をするのかでなく、
『Open Diagram』は何をするべきなのか、
そして「やさしさ」について。
『Open Diagram』は何をするべきなのか、
そして「やさしさ」について。
山田:なんか今回インタビューとかしてて出た話でいうと、
そういうことだけじゃなくて、
いろんな点で議論は足りなかったんじゃないか
っていう話は出ていて、
っていう話は出ていて、
結局みんな『Open Diagram』っていう
展覧会を作るっていうことが目の前にあるから
そこに比重が置かれてしまって、
なんかほんとはもうちょっと議論とか
色んな関係性を作るっていうことが
できたかもしれないなー
できたかもしれないなー
というふうには思うんだけれども、
今度は例えばじゃあ
この『Open Diagram』っていうチーム?の関係性でいうと、
どうでした?終わってみて。
黒木:そうですね…。今回は、どうなんだろ。
どうなんだろう…当たり障りなく終わらせるしかなかった
という感じですよね、ほんとに。
普通の展示だったらこれを何回もやるとなると
わりときついだろうなっていうのはありましたね。
田川:黒木さんは「やさしさ」っていう言葉に
なにか独特の意味をこめている思うんだけれども、
その言葉が出て来始めたのっていつ頃?
それとも考えていたことが「やさしさ」っていう言葉だったんだな
って最近なったのかもしれないけれども。
またはどう使っているか?でも。
黒木:多分2回生の後期以降です。
田川:作品でいうと?
黒木:3回生の中期くらいの、《commune balance》(※)からやと思いますね。
田川:そのときは作品と「やさしさ」の関係は?
黒木:「やさしさ」というよりも、
その前までの作品がわりと鋭い視点、
というか、人に対して鋭く当たっている作品を作るのが多かったけれど、
それではいけないということになって。
色々な物事に寄り添ったり、
話をしたりしないといけないと思った時に、
話をしたりしないといけないと思った時に、
その言葉が出てきました。
田川:今回の作品での「やさしさ」って何ですか?
黒木:今回、「やさしさ」っていうのは場所に対してですね。
具体的な展示方法であったりもそうですし、
わりと色んなところに気を使いながら
今回は作品を作れたような気がしていて。
今回は作品を作れたような気がしていて。
で、それが、やさしくできたなっていうのに繋がった。
田川:「やさしさ」ってたぶん、
美術で扱うのはすごく難しいことなんだけれども、
美術で扱うのはすごく難しいことなんだけれども、
例えば、これは他の人にも聞いたのだけれども、
今回の作品を誰に向けて作ったか
っていうのをまずちょっと聞きたい。
っていうのをまずちょっと聞きたい。
黒木:具体的に言えば、今のバイト先(※)の人々であったりとか、
あんなところで展示するのって言っている人たちと、
制作を手伝ってくれた友達に向けて作っていました。
※今のバイト先:インタビュー時、黒木が働いていた京都市内の居酒屋。
※今のバイト先:インタビュー時、黒木が働いていた京都市内の居酒屋。
田川:その「やさしさ」っていうのが
この人にとっては「やさしさ」じゃなくないかも
っていうのはありますか?
っていうのはありますか?
黒木:あります、あります、それはあります。
田川:それをちょっと聞きたい。
黒木:「やさしさ」って「厳しくない」
という意味ではないと思うんですよね。
という意味ではないと思うんですよね。
そういう意味だとやさしくないときもあるな
と思うときはあります。
と思うときはあります。
でも全員にやさしくあれとは思っていないので。
なんかそれは、その人(やさしくないという人)が出てきたら
その時にきっちり話をするっていうのが一番やりたい、
…やらないといけないことかなと思いますね。
たぶん、1つの作品では全部は言い切れないから、
それを受けてまた別のものを作るという形で
どんどん考え続けていくしかない問題だろうなとは思います。
田川:だから『Open Diagram』は続くっていうのは
そういうところでいいのかなって思っていて、わたしとしては。
絶対1回で何も終われないから。
でも作品を作るっていうことと
展覧会というもので毎回毎回ってすると、
たぶん何か歪みが出てくると思うから、
みんなそこは多分それぞれ色んな意見を持って、
考えてると思うけれども。
考えてると思うけれども。
「やさしさ」は作品ではなくとも目指せるのでは、に対する返答
山田:なんか、黒木さんがやってることって、
もしかしたら作品を作らなくても
何か達成できると思う時があるのですけど、
そういう時に作品を展示することをどう捉えているの?
それはワークショップみたいなこととか、
女川に行ってそこの人と関わる(※)ってことで
何かが生まれているとも言えるんじゃないかな
っていうふうに思うんだけど、
自らが意志を持って作品を作るっていうことを、
どう捉えているの?
なんだろ…、それってもしかしすると
アートの…、アーティストの可能性の話になるのかもしれないけれど。
※京都市立芸術大学の有志「trams」による、宮城県女川町での活動。お盆の時期に小さな焚き火を住人の方々と囲む「迎え火プロジェクト」などの活動をっている。『Open Diagram』のメンバーでは、今尾・熊野・黒木・寺嶋・橋本・山田が参加している。
黒木:なんか、作品というのが1つのゴールだと思っていて。
作品というか、「もの」とか「見せている状況」とか。
とりあえずのその時のゴールがあると。
そこで何を見せたいかというと、
自分が今回は何を言いたいかっていうのを見せる場所なんですよね。
で、ワークショップとかにすると、過程が大事になる。
でも、結局わたしは過程も大事だけれど、
そこで自分が何を思いながらそれをやったかとか、
で、その過程で今回はこういう結果だったけど
それが今後どうなるかっていうののほうが大事。
つまり主張が大事なんですよ。
でもその主張っていうのは言葉で言ったりすると、
デモとかもそうですけど、言葉選びだったり、
やり方によってはすごく危険なものになる。
それを作品などで見せることによって、
伝え方できるんじゃないかなと思って、模索しています。
作品ありきで対峙して喋った時の言葉の印象って
わりと違うと思うんですよ。
わたしの今回の作品、そんなにきつい印象じゃないと思うので、
あれを見てから話をするとだいぶ言葉選びも違うし、
作品をきっかけに話ができることもあるし、
話をせずに、あの作品だけ見てもいいと思う人も
いるのはいると思うし。
言わないといけないことも、言わなくてもよくなるんですよ。
作品でもう言っているから言わなくても伝わったりする。
それは美術をやっている人たちだけじゃなくて、
見に来ている人たちにしてもそうなんですけど。
だから結局何を主張しているかが大事なので、
作品にする、かたちにするっていうのは結構大事だなと思いました。
わたしが言いたいことって
言葉を使うとかなりきつくなりやすいので。
言葉のエキスパートならまた別だと思うんですけど。
田川:わたしもそこはすごく気になってた。
黒木:考え続けることが一番大事だと思ってるんですけど、
でもその時に「何を言いたいか」とか「何を考えているか」は、
色んな人を巻き込みながら作品を作っていくので、
わかっていないとダメだなと思って。
それが変わるのは別にいいんですよ。
次の作品で変わっていたりとか。
でも、その時にどう考えているかははっきりさせないといけない。
山田:そういうふうに考えているとは、初めて知った。
黒木:わたしも(笑)。最近やっと気付いた(笑)。
山田:今のでいうと、ゴールとも言っていたけど、
ある種そこからがスタートとも言えるってことだよね。
黒木:そうですね。
黒木:でも今回のは作品を見せるだけじゃなくて、
展示をするっていうのもゴールだったので。
…でも、見にこないんですよ。
私がバイト先のオーナーさんや
その居酒屋のお客さんたちのために作っても
見にこないんですよ。
見にこないんですよ。
でも、彼らは気にはしてるんですよ。
で、この間バイト行ったときに聞かれて。
あそこの場所ってどうなん?どんな場所なん?って。
で、いやそれによって全然何も変わらないですよ。
でも、こういうやりとりがあったことが
個人的には一番ゴールだった。
個人的には一番ゴールだった。
向こうに興味持たせられたらオッケーなんですよ。
今回の作品はほんまに。
今回の作品はほんまに。
だから、こないだやっと終わったな、と。
店長、多分facebook見てくれてるんですよ。
わたしがこの展示告知しているのも知っているし、
今までの発言も読んでくれているし。
田川:じゃあこのインタビューもfacebookにあげれば…
黒木:見てくれると思います。(笑)
場所との距離感における作品制作の相関性
山田:けっこうさ、京芸歴長いじゃないですか。
黒木:京芸歴(笑)
山田:ここ(沓掛)の土地への愛着もあるなと思って。
というのは今尾くんも同じくらいここいるけど、
彼は実家なので帰っていくじゃないですか。
だから生活区域ではない。
それでいうと黒木さんがここの沓掛っていう土地に
一番ひも付いているような気がしていてて。
だから出てきた作品でもあるのかなーていうか。
黒木:それはめっちゃあると思いますね。
大学院から入ってきた人たちとは、
全然違うかもしれないですね。
全然違うかもしれないですね。
実家から通っていた時でも、
実家より学校にいるほうが断然長いので。
実家より学校にいるほうが断然長いので。
しかも2時間くらいかけてきてたんですよ。
すぐ帰れないので、その距離への憎しみがハンパなくて。
だからここ住めるって決まった時本当に嬉しかった。
その前も学校に泊まって制作とかしていたので、
居場所があるんですよね。
人が要因でもあると思いますし、
場所が持っているものもあると思うんですけど。
一回生の最後の課題が
彫刻専攻の小山田先生が出された課題で
彫刻専攻の小山田先生が出された課題で
それは大学付近を歩いて回って
自分たちの地図を作るっていう課題だったんですが、
その課題がめっちゃ好きやって。
そのときにちょっと土地勘がついて、
その後も一人で裏の山に行けるようになったり。
ここに畑があって、
この土地の名産物は何でとかが分かってくると
愛着がわきました。
この土地の名産物は何でとかが分かってくると
愛着がわきました。
南條さんが『Open Diagram』のfacebookページに
最初らへんに書いていた文章が本当に素晴らしくて。
最初にここに越して来たときは
土地に拒絶されているような気持ちになっていたけど、
自分から歩いたり、
どういう土地かっていうのを知るようになってから、
どういう土地かっていうのを知るようになってから、
どんどん受け入れられていくような実感を得た
っていう話を書かれていて。
っていう話を書かれていて。
これだ!と思って。
作品作っている時、
この南條さんの文章のこともずっと思っていたんですよね。
この南條さんの文章のこともずっと思っていたんですよね。
今回の展示メンバーの中では南條さんが一番遠かったというか、
全然面識もなかったので。
そういうのも、この話と関連して色々考えることがあるな、と。
山田:言ってたもんね、南條さんもインタビューで距離のこと。
それとともに徐々に自分が馴染んでいく感じとか。
田川:南條さんはかつて、「馴染むこと」を
自分は拒絶していたことがあるというようなことを言ってて。
京芸に来る前、
「お前は岐阜の山奥で制作している方がいいんだ」って
先生に言われたことがあって。
確かにそれもそうだなと思っていたと。
多分黒木さんも同じような問題をわりと通ったのかなって
確かにそれもそうだなと思っていたと。
多分黒木さんも同じような問題をわりと通ったのかなって
その時にちょっと思った。
まあそのことをもうちょっと考えたいんだけど、
わたしは。まだ今は何も言えなくて。
作品の視覚的スペクタクルをどう考えるか
田川:今後、黒木さんが例えば作品を作るときに、
美術館とかでやる時に、フラットな空間で、
たくさんの作家がいて、そ
こでぱっと作品の近くを通るってときに、
目にとまるような視覚的なインパクトって
必要だと考える作家は多いと思うんだけど
必要だと考える作家は多いと思うんだけど
黒木さんはそれをどう考えているのかなと思って。
黒木:その考え、2,3回生のときのほうがあって。
それってなんか…見て、深みがあったらいいんですけど、
その当時の自分の作品あんまり深みなくって。
(笑)インパクトはあるんですよ。
大きいとか、棺桶引きずってるとか、
ヤバい感じすごいあったと思うんですけど、
今はそれを絶対にやる必要はなくって。
であるならば、まずどこの場所に展示するのかっていうのを
自分の作品では考えるべきなのかなと思っているんです。
だから美術館に今作っているような作品を展示するのは
かなりしんどいですね。
田川:でもなんかその、黒木さんがやってることって、
飛躍的なことでもなく、
破壊衝動でもないところっていうのを見つけて、
そこを進むっていうことで、
それは難しいことだと私は思っていて、
本当に簡単にどっちかに転んでしまうと
例えば、視覚的にインパクトがあるほうに転ぶと
かなりいいものというか、
いいものって思われるようなものができてしまう。
だけどそうしないっていうのはすごく大変で、
それで、そういう時に黒木さんは
どうしていくのかなっていうのにすごい興味があって。
黒木:陰に居続けてもいいんじゃないのかなと思うんですよね。
その、きらびやかなところとか、
ごく一部の美術関係者に賞賛されて作品をずっと作っていくよりも、
結局、その場所にいない人たちに対して作っていたりするので、
美術をやってない人とか。
だから他の作品と戦う意味もないし、目立つ意味もないし。
「自分と関係のあることをしているんだ」と
人に思わせる方が絶対いいと思うんですよね。
そのためのアイキャッチとしてtwitterとかも使いますけど、
そういう意味での目立つということは、
作って結果目立つのは別にいいんですけど、
あえてそれを考えたりっていうのはもうしない気はします。
山田:大人。
黒木、田川:(笑)
山田:大人になったんだねえ。
黒木:うん、そうですね~(笑)。
だから最近、ギャラリーとかで展示するのなんか面白くないなと思っていて。
もっといろんな人が来たりするところで展示できる方がいいなと思って。
崇仁も、小学校で展示するのはもういいかな、と思いました。
山田:場所がもう限定するよね、人を。
ギャラリーには美術関係者しか来ないし。
交差点みたいなところに黒木さんの作品があったりね。