2012/07/16

Vol.1 part3『インターバル1』


KUMAUHEI WORKS CAUTION!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! vol.1テキスト版
part3 インターバル1

ブックアート作品『注意!-京都貼紙地図-』を紹介するUstreamの
放送内容をテキスト化したものです。

part3では、part2をうけて
日本語の縦書きの文化や、
物に対して愛着を持ったり、
価値を感じたりすることについて話しました。

出演
KUMAUHEIWORKS(以下:隈) 画面左下
なんしーさん(以下:な)声のみ

                              

:というのが本の説明。
  つかれましたねー。

:とてもわかりやすい本の説明でした。

:というので、ものをお書きになったりするなんしーさんの
  思うところを・・

:すごい放り方を・・

:放りました。

:ちゃんと持ち歩けるようになってよかったね。
  え・・そういうことじゃない?

:wいやそういうことでもいいと思うんですけど・・

:いやなんか、
  途中から全然関係ないことを考えていて
  なんで縦書きと横書きに 
  分かれていったんだろうっていう
  なんか日本とかは縦書きで
  ハンムラビ法典とか象形文字とかの碑文は
  横書きになってて
  それが今でも受け継がれていて
  縦と横の文化があるのは
  なんでなんかなーっていうのを
  ぼんやり考えていました。

:それもなんか
  筆記具のことを少し説明してた部分がありましたが
  そのあたりのことが
  深くかかわっているんじゃないかなと。

:なるほど

:筆は、縦に書きやすい 
  とかっていうことが
  まずあるとして
  感覚的には
  本の部位の名前で
  天とか地とかっていう名前がついていますけど
  上から下に降りてくる感覚が多分
  日本人とかそれに近い文化圏の人には
  あるんじゃないかなと
  それは、筆っていう筆記具の特性でもあり
  上から下に言葉が降りてきたり
  上から下に流れていくっていうような
  画面を作る感覚が日本にはあるんじゃないかなと思う・・

  みたいないい加減なはなししてみたり・・

:なるほど、宗教的な感覚があるということですね。

:韓国とか中国では
  もうあんまり縦書きしないらしいですね。たしか。
  こんなに縦書きをいつまでも
  やってるのは割と日本人くらいで。

  明治時代頃からよくあった
  右から左ではなく、左から右に読む書き方ありますよね。
  あれは、一文字で一行が終わっちゃって
  次の行にいくっていう感覚
  だったんじゃないかなと思います。あれは。
  ヨーロッパから文字が入ってきたときに
  基本的には左から読むものだったのに
  日本も横書きにしなきゃってなったときに
  一文字で一行が終わっちゃうというかたちで
  無理矢理(日本語を)横書きにしちゃったっていうのは
  それほど日本人が
  縦書きにこだわっていたんじゃないのかなって
  思っていて。
  どうしても縦書きをしなきゃという感覚は、
  もうちょっと考えていけば・・・

:なにかたどり着けるかもしれないですね。

:だけど、僕は縦に書かなきゃいけないという感覚が
  あんまりないんですね。
  僕自身が、ほとんど縦書きをしていないからかなって。

  さっき言ったみたいに文字っていうものを
  自分で書いたりする機会はいつあるのかというと
  インターネット上のSNSに
  くだらないことを書いたりとか
  ・・某のギネス記録ってあるのかな
  みたいなやつをつぶやいてみたりとかね。

:某のね。

:そういうことでしか
  文字を使わないですよね。多くはね。
  最後に縦書きをしたのはいつだろうかって
  考えてしまうんですよね。

:高校生くらいかな

:はがきの宛名書きぐらいかなーとは思いますけどね。

:なるほど。年賀状とかね。

:はがきの宛名も下手すると
  横書きで書いちゃったりしますもんね。

:うわー。それは、なんか抵抗がありますね。
  横フォーマットの封筒だとかだといいですけど
  縦のはがきとか縦の封筒に横書きで書いたり
  横書きのシールを貼ったりするのがすごい嫌なんですよ。

:ああ
  なるほど。

:気持ち悪いっていうか。
  個人の感覚ですけどね。

:感覚しかないけどっていうのは
  今の僕たちはどっちでも選択できてしまうけれど
  なんか感覚として残っているということは
  ないわけではないんでしょうね。
  そういう感覚はゼロではないと。

:ケータイとかtwitterとかは横だけど
  読むもの・・未だに読む本は縦書きですよね。
  小説とか。

:そうですよね。本を読む時は
  縦書きのものが多いですよね。
  横書きの本って、
  何冊かに一冊っていうくらいでしか
  あたらないですね。

:雑誌とか。

:雑誌もけっこう縦書きが多くないですか?

:なんかビジュアルに特化しているものは
  横書きが入っていたりしますけど、
  たしかに縦書きが多いかな。
  漫画もなんやかんやで縦書きですよね。

:横書きの漫画もあんまり見ないですよね。
  すごい違和感ありますよね。横書きの漫画って。

:うん。

:この作者何考えてはんにゃろう
  っていうぐらいのことを
  思ってしまいますよね。

:うん。

:表現として 話の中での外国語の表現で
  一部が横書きっていうのはわかりますけど。
  なんか、横書きの漫画を見たら
  この人は何を考えているんだろうと
  すごい考えてしまいます。
  しかも、決して良い意味ではないですね。

:たしかに。
  今、近くにある漫画を開いているけど
  擬音語もけっこう縦かもしれない。

:紙っていうものがあって
  どういう形で字が入ってくるのか
  僕たちがつかっている言葉は
  文字になることによって
  時間と場所と人数の制約を越えましたよね。
  言葉を図示しただけのものである文字に対して
  縦に書かないと
  なんかおかしい気がするとか
  そういう感覚が生まれてくるというのは
  本というものが持っている魅力であったり
  表現の器になる要素なんじゃないかなと思うんですよね。

  ということで、
  ここから次の章にいくか
  電子書籍の話をするのかどっちにしようか迷ってるんですけど

:どっちかな。
  どっちが聞きたいですかね。

:今って特にコメントとかって・・

:がんばれっていうのは。

:がんばれかw

:最初のほうにね。

:どっちでもいいということで、
  次の章にはいかずに横道にそれてみると。

:はい。

:電子書籍っていう話があるんですけど
  ちょうどこの作品を作ってるときっていうのは
  2010年だったので・・今は2012年ですけどね。
  当時、電子書籍元年とかっていわれてたんですよ。
  そうやって呼ばれてたこと覚えていますか?

:ぼんやりと・・

:僕もこの作品を作っていなかったら
  通り過ぎていったようなことかもしれませんが
  そういうことが言われ始めてて
  ゼミの中で先生とかに電子書籍が出てきた今
  こういうものを作る意味とは
  っていうのを
  説明させられたりとかしたもんですから
  なんか、本っていう形と
  電子書籍というものを比べるんですが 
  2010年が電子書籍元年だって言っても
  別にパソコンであったり他のデジタルデバイスで
  文字を読むということは
  電子書籍などと言われる前に
  すでに習慣としてある訳じゃないですか。
  でも、それはネットのニュースであるとか
  SNSであるとか
  ネットの掲示板みたいなものであるとか
  そういうものをタダで読むのが普通だったと。
  webマガジンみたいなものとか、
  ほぼ日みたいなものとかそういうものもあったけれど
  基本的には無料で見れますというのが普通だったと。
  有料のテキストを読むサービスももちろんありましたけど
  (あまり一般的ではありませんでした。)

  今はネット上の文章はタダになってるけれど
  どうにかしてそこに課金をしようと考えますよね。
  そうしたときに、何が必要だったのかというと
  本という形なんです。
  本にはお金を払いますよね。
  本という形をしたメディアに対しては。

:うん。

:これは、デバイス上で読む新しい本なんです。っていう言い方を
  しなきゃいけなかったということだと思うんですよね。
  だからこそ電子書籍と名乗って
  本の見開きみたいな形をつくったりとか
  ページをめくる動作を再現したりして
  これがいかにも本であるということを
  表現しなくてはいけなかった。
  それは、
  いわゆる今までの紙の本に対して抱いていた
  確かな情報が載っているだとか、
  お金を出しても良いものだというふうな感覚の人々に対して、
  データだけど本と同じものですよ。
  っていうことを言わなければいけないが為の
  インターフェースだったと思います。

:うんうん。

本っていうのは、見開きの形をしていて
  こんなふうにして読む、
  この(見開きの)単位で読むから読みやすいんだ
  っていうところはあるかもしれませんが、
  パソコンとかiPadとか、kindleとかkoboみたいな
  リーダー、電子ペーパーといったもので、
  ほんとに見開きで見るのが読みやすいのかというと、
  別にそんなことはないんじゃないのかな
  という気がするんです。
  スクロールで読んでいく方が
  実は読みやすいのかもしれないし。
  っていうことで、
  電子書籍というものに対して
  矛盾を感じていたところがあると思うんですよね。
  これって本なの?って
  逆に(紙の)本のほうが私は良いわ。みたいな話とかね。

  まとめに入っちゃいますが
  本の形をすることによって、
  本っていう形のものは
  お金を出してもいい情報が書かれている
  というような今までの慣習に引き戻して
  今まで課金できなかったところを
  課金させるっていうことですよね。

  今は、そのまやかしは
  なくなっちゃっていると思うんです。
  だから今の話は2012年現在では
  通用しない話だと思います。
  例えば、有料メルマガなんてものがありますよね。
  津田マガとかね。
  結局本の形はしていないけれど
  こんなに量があって
  新書と変わらないじゃない
  っていう話になってて
  本よりも即時性があるし
  別に本の形してなくて
  電子メールという形をしているものであっても
  お金を払えるようになってきている。
  それは、自分が応援している人に対しての
  投げ銭的な感覚かもしれないですけど
  そういうことがあっても
  情報という意味ではタダで手に入るものになってきたので
  お金を払うのは
  好きなものとか好きな人に対してお金を出します。
  っていう感覚だと思うんです。
  ミュージシャンのタオル買うとかCD買うとか
  3000円くらいする薄いパンフレット買うとか
  そういうことがあるじゃないですか。

:ありますね。

そういうのとかも
  もう越えちゃってるというか
  形のない物に対して課金をするという事は
  当たり前になってしまっているし
  当時2010年の時に電子書籍といって
  何かしらほ本の形をしたインターフェースが
  付いていたのだけれど
  もうそれは必要なくなっちゃったのかな
  っていうのが・・今考えている事ですね。

:抵抗感がみんななくなってきて。

とかいいながら・・
  最近・・今僕は仕事をしていないんですけどね。
  ここでその話っていう感じですけど・・
  まあ、暇なのでAmazonとか見てたら
  フィギュアとか買っちゃったんですよ。初めて。

:おお
  なんかtwitterにのせてたやつ?

好きなゲームのキャラクター。
  任天堂のキャラで
  そういうアクションフィギュアみたいなのは
  今までほとんどなかったので
  買わなきゃと思って
  それで遊ぶというわけでもないんですが
  こういう事で新しい動き(アクションフィギュア化)があって
  そのゲームが好きだし。キャラクターも。
  塗装とかもよくできているという事に対して
  お金を払ったんです。
  すごく最近の事です。

:うんうん。

:仕事もしていないのに・・

:wそうですね。してないのに。

:別に物に対してお金を払うという
  感覚がなくなる訳ではないと思う。
  自分の行為を勝手に一般論化して正当化しているわけですが・・

:そんなに言わなくてもいいと思いますよ。
  素直に・・

:自分の行為を一般論化して正当化するような人が
  大っきらいなんです。

:そんなに自分をおとしめる事ないですよ・・
  隈くんの救済企画のはずなのにw

:困ったね・・

:つい買ってしまうっていうのあると思うし。
  ついやってしまって後悔している時とかはどうしても
  今こういう流れやしわかっとかへんとあかんかったと思うしって
  つい言いがちなんで、だれにでもある話だと思いますよ。

:・・・
  で、ですね・・
  次に11月に別のやつ(figmaリンク)が出るんですけど
  それも予約しちゃったんですよね。

:wそのままずぶずぶフィギュア方面にいってしまいそうですけど
  そうはならないとは思う。君は。

:いやー、でもジョジョのフィギュアとかに手を出してしまったりして・・

:ああ
  フィギュアとして売られている物を買っていなかったとしても
  ペットボトルのおまけとかについているものを
  買ったりしてるじゃないですか。
  マリオのやつとか確か買っていたと思うんですけど。

:はい。
  そうですね。

:そういうものも、フィギュアじゃなくてお茶を買っているけれど
  結局目的は、フィギュアでしょ。

:そうそう。
  そういう物に対して、今まで
  あんまり興味がなかったんです。
  マリオが好きでも、
  別にマリオの人形とかが欲しいと思った事はなかったんです。

:うんうん。

:画像に対してお金を払うっていうことが
  どんどんなくなってきている
  感覚があるんですよね。

:画像に対して・・どういうことだろう?

:例えば、僕はアイドルとかあんまり好きにならないけれど
  親戚のおばちゃんがめっちゃジャニオタなんですけど・・

:うんうん。

:・・・ジャニオタっていう言い方はあんまりしない方がいいですかね。
  大丈夫なのかな。蔑称じゃないかしら。(勘違いして使ってたらこわいな)

:蔑称じゃないでしょう。オタっていう言葉は市民権を得ているでしょう。
  むしろステイタスでしょう。

:蔑称だったらどうしようかと思って・・

:大丈夫でしょ。今更やん・・

:おばちゃんは、写真が載っている物に対して
  お金を払ったりしてはるわけなんですけど
  例えば、キャラクターの画像とかだと
  公式のホームページみたいなところにだって
  いっぱいあるし
  よっぽど高精細な印刷ですよって言うても
  それ結局CGじゃないですか。
  ペインターとか書いてるやんっていうことを考えたら
  二次元の絵っていうもの。
  絵とかに対してなんかお金を出す価値が
  あんまり無いような感覚にどんどんなってきてて・・

:うっかり自分でもできるかもしれないと思ってるから
  じゃないですか?

:それもあるかもしれないですよね。
  面白い合成とかして
  ネタとかにしづらいじゃないですか。

:うんうん

:誰でもできちゃうから。結局。
  昔だったらいざ知らず。
  Photoshopみたいなものって
  ライセンス料も下がってきているし
  昔ほどハードルは高くないし、いろんな人が
  画像加工を簡単にできるようになってきた 
  というような事はありますもんね。

:うん。特別な、自分にはできない事に対して
  お金を払っていたということはあるかもしれませんね。
  だから、それがなくなってくると
  物、物質にいくんだろうなって。

:そう。
  だから、立体物に・・
  僕がもともと美術系の中でも
  立体よりのことをしているから
  というのもあると思いますけども。
  キャラクターを立体的に造形した物に
  割と価値があって
  お金を出してもいいなっていうふうな
  感覚になってきたというか。

:うん。

:それは、本の話と
  そんなにかけ離れた事ではないと思うんですよね。
  本に対してお金を払うという事と。

:なんか物質が並んでいく感じ。
  コレクション欲求みたいなものは
  誰しもあるんじゃないだろうかと。
  極端に潔癖で物が増えるのが嫌な人以外は。
  あと、ちょっとだけ金銭的に余裕が生まれた人・・
  学生じゃなくなった人とかは
  特にそういう欲求が出てくるのじゃないかなと。
  満たされていく感じ。

:なるほど。

:もしくは、メンタル的に不安な部分を物質が増えていくことで
  補おうとしているというか。

:それは、けっこうヤバい方面の話じゃないですか。
  服ばっか買っちゃうおばちゃんとか・・
  買い物依存症みたいなやつでしょう。

:そうそう。それもなんか孕んでいないわけではないかなと。

:たしかにね・・
  本棚が埋まっていく事に
  快感を感じた事もありましたよね。

:あるでしょうねー。

:さーて
  そんな話をしながら、
  次は何の話をするのかというと
  僕が実際に物質として好きな本や
  本の形をしているものを紹介したいと思います。

:なるほど

:上手い事話がつながったみたいな雰囲気ですね。

:やったー。


part4に続く)