2018/05/08

黒木結 個展『おばけのジレンマ』の感想〔テキスト:熊野〕

おばけの連判状メンバーの一人である黒木結の個展『おばけのジレンマ』について
同メンバーである熊野陽平の感想テキストを掲載します。

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黒木結 個展『おばけのジレンマ』の感想

『おばけのジレンマ』の「おばけ」については、「おばけの連判状」の活動を始めるにあたって
黒木さんにインタビューをしている時にその話をしていたので
展示を見る前からけっこう考えていました。(「おばけの連判状」の「おばけ」はそこからきている)

ただ、展覧会のステイトメントに書かれているまとまった文章よりも先に
具体的な黒木さんの体験や考えを聞いていたので「おばけ」のことを
あのテキストほどは整理されて考えられてはいませんでした。
(「おばけの連判状」にでてくるそれぞれの「おばけ」が
必ずしもステイトメントのおばけとイコールではないのは
そのあたりが、同時進行的につくられていたからだともいえます。)

『おばけのジレンマ』は、展覧会ですがいわゆる展示会場ではなく
一般的な住宅で行われていました。
なおかつ場所が一般公開されておらず、
黒木さんに直接連絡をしないとわからないようになっていました。
これは、やり方として(たしかに珍しくはありますが)
黒木さんの発明というわけではなく奇を衒ったわけでもなく、
この展覧会のつくられかたとして自然にそういうふうに行われたのだと思います。

(展覧会の内容について、僕が知っていること・わかっていることは
全て書いていいと本人からは言われているけど
個人的に私の口からは言わないほうが良いのではと
思っていることに関しては記述せずに展示について書きます)

展覧会を見に行く旨を黒木さんに伝えると、
会場の地図や作品についてのテキストなどが送られてきました。
渡された地図を見ながら展示会場にたどり着き、玄関をあけると
一見すると展示のためにライトアップされていない
ふつうの家のような室内空間が広がっていました。
(戦前からある長屋のような家なので、
最近のふつうの家ではないかもしれないけど
京都市内にまだそういう建物が結構残っている)

あれ、これ展示なのかなと思ったのだけど、
入った瞬間からなんとなく違和感を感じていて、
天井の配線、室内照明の色、畳のサイズ、ふすまの取り付け方とか
そういうところがちょっとずつ変だな、、と。
(実際に、そこらへんにおいてあったコンベックスで
畳のサイズを測ってみたりして、おかしなところを発見していた)
でも、よく知らない人の家なので
あんまり人の家にケチをつけるのもどうなのかと思って、
そういうことは言わなかったし考えないようにしていました。
(ちょうど住人の方もいらっしゃったので。)

展覧会場は、三畳ほどの部屋が南北に並んでいて、
各部屋の南西隅にインテリア量販店で売られている
カラーボックスが同じ位置に置かれていました。
このカラーボックスは、旧来からある3段カラーボックスではなく、
棚板を設置するためのダボ穴がいくつもあって
棚板の位置を調節したり、増やしたりすることができる商品で、
各部屋のカラーボックスは、置いてある位置が同じなだけではなく
棚板の高さや数も同じになっていて、そこにいろいろな物が置かれていました。
片方のカラーボックスには、本やCDや観葉植物など、日常的なものが置かれていて、
もう片方には、具象的ではないぼやっとした形のテラコッタが置かれていたので
どちらかが実体でどちらかが影なのでは?というような想像をさせられました。
もっと正確に言うと、どちらかが実体でどちらかが「おばけ」なのではないか、
あるいは、ふたつとも「おばけ」なのではないかということを考えさせられました。

黒木さんの説明によると、片方の部屋は、その部屋自体が「Alcove」なのだという。
「Alcove」は部屋の中にある日本の建築でいうところの「床の間」のように
くぼんだ空間のことらしいのですが、
部屋に大きくくぼんだ部分はないし、どういうことなんだろうと、
しばらくの間悩んでいました。

結果的に、ふつうの室内空間だと思ったのは間違いで
実はドラスティックに部屋に造作が加えられていて、
私が見た空間は、日常空間ではなく
展示のために作られた空間だったということがわかりました。
どういう造作が加えられていたのかは、ここでは書かないけれど
最初に感じていた違和感が関係していました。

ここまでつらつらと、会場の構成や空間、造作について書いてきましたが、
『おばけのジレンマ』は、
ステイトメントや作品説明(名前と決まりごと)のテキストも重要あり、
その場にいる黒木さんやほかの来場者と話したりすることも大事であるというのは、
来場者のほとんどの方が感じられていることだと思います。
でも、私がここで触れることは会場の構成や造作について、です。
というのも黒木さんと私を含む9人で
2016年に『Open Diagram』という展覧会を企画して、
お互い展示をしたことがあって、
その時に実際の展示場所とどう向き合うかということに対して、
6名の出展作家ごとの考えの違いがあってて、
それについて何度も話し合いをしました。
これは、『Open Diagram』において
非常に重要なトピックだったのでしばらく考えていました。

『おばけのジレンマ』は、企画としては
『Open Diagram』とは別に立てられた企画なので、
あまりそれを意識せずに見に行きましたが、
結果的にそのことを意識させられました。

『Open Diagram』で黒木さんは、
展示会場やその周辺に対して
「さんぽ」という方法で、その場所に関わっていました。
『Open Diagram』は、大学の移転ということを
きっかけに企画された展覧会だったので、
人が移動することは、テーマとして重要でした。

「さんぽ」という方法は、車や公共交通機関を使わずに移動することなので、
自分のペースで動いたり、時々立ち止まったりすることができます。
実際、この時黒木さんは、気になったものを見つけたら
すこし立ち止まって写真を撮ったりしていました。
とはいえ基本的には、「さんぽ」は歩き続けていて
特定の場所に長くとどまったりするという動きではありません。

『Open Diagram』の黒木さんの作品《平らなさんぽ》のインスタレーションは、
控えめな造作によって、かたちづくられていました。
たとえば、弱粘着性のテープで床に地図を描いたり、
教室にもともと置かれたままになっていたワイヤーやクリップを使って、
絵を飾ったりといったように。

対して、『おばけのジレンマ』では、黒木さんは
会期中、展示会場に住んでいました。
これは、「さんぽ」のような常に移動している行為ではなく
長いあいだ同じ場所に留まる行為です。
そして、黒木さんは『おばけのジレンマ』の展示場所に対して
空間そのものががらっと変わってしまうような造作をしていました。
(室内での行動範囲や室内空間の印象を変えているという意味合いで)

これを見た時に、『Open Diagram』での黒木さんのインスタレーションは、
「さんぽ」的なものだったんだなと思いました。
つまり、留まるのではなく、自分のペースで歩いて通り抜けるような関わり方が
(弱い粘着テープで貼るというような)インスタレーションの手法に
表れていたんだと、逆に気づかされました。

これはたぶん場所とかその場所にいる人に対しての親密度がぜんぜん違うんだなと。
逆に言うと、黒木さんはそういう親密度等で
空間に対してのアプローチを明確に変えているんだと思いました。
そう考えると、一見ふつうの部屋に見える空間に隠された「Alcove」は、
見ることや立ち入ることのできない空間ということになりますが、
親しい人以外、来づらい状況をつくっているにも関わらず、
その人たちも入れない場所があるということになります。

私たち展覧会の来場者は、
少しの時間(人によっては何時間もいることもあるだろうけど)展覧会場にいて、
その後、その場を去ります。

ずっと長くいてしゃべったりしていると、親密な関係だと思ってしまうんだけど
(たいていの展覧会は全部見終わったら帰るものなので)
違和感を感じながらも、その場所で一定以上の時間をすごして、
途中で触れられない場所があるということに気づくことで、
《平らなさんぽ》で、黒木さんが
触るものと触れないものの距離感をはかっていたように
今度は僕らがその塩梅や作法を考えさせられる。

その触れなさについて考えることで、
人によっては自分の「やさしさ」に気づくかもしれないし、
おばけに対する「恐れ」が
自分の中にあることをを突きつけられることになるかもしれない。
おばけにとってのジレンマは
おばけを見ようとする人にとってもジレンマなのだ。

「さんぽ」で歩く時に、立ち止まったり道を選んだりするみたいに、
もう今はないあの展示空間ついて、
どんなふうに自分はそこにいて、どんなふうにそれを見ていたのか考えてみよう。
(見に行ってない人は、黒木さんがつくるアーカイブを見て考えてみよう。)

……そして、プレ版を頒布開始した「おばけの連判状」なのですが
マンガ(本)にすることによって
ここで触れているような空間を使った表現みたいなものなくなりますが、
(いやなくなりはしない、空間との関係が変わるけど)
どこにでも持ち運びができる媒体でどうアプローチしていくんだろうなとも思うし、
自分もどうやっていくのか考えていきたいと思いました。