2012/08/25

vol.3 part1『放送事故と麦茶と黒魔術』


KUMAUHEI WORKS CAUTION!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! vol.3テキスト版
part1『放送事故と麦茶と黒魔術』

ブックアート作品『注意!-京都貼紙地図-』を紹介するUstreamの
放送内容をテキスト化したものです。

vol.3 part1では、
今までの回と違って出演者がKUMAUHEIWORKS一人だったため
最初何をしゃべっていいのかわからずに
軽いパニックになってしまい
配信を中断したり、開き直ってカメラ前で
お茶飲みながら休憩していた様子をテキスト化しています。
後半は、前回までのおさらいを軽くしています。
この間時間にして1時間13分かかっていましたが、
この時点ではまだvol.3の本題に入っていません・・・っていう。

出演
KUMAUHEIWORKS(以下:隈) 画面左下

                              


隈:はじまりました。
KUMAUHEI WORKS Ustream CAUTION!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

今日は第三回目の配信になるんですけど
今日は、度重なるトラブルがありまして
ええ
初めて、一人でやる事になってしまいました。

KUMAUHEI WORKS 一人のUstになります…
普段は、ソーシャルストリームの方で
(内容の)フォローが入れられていたりもするんですが
今日は、そういうのがなくて全部自分でやるので
しゃべったり打ち込んだり
多少間が空く感じでやっていきたいかなと思います。
左手にtwitter入力用のパソコンが置いてあるので
よくこっち側を向くと思います。

えーそんな感じで
(文字を打ち込んでいる)
・・・・・
こんな感じですごく時間がかかるんですね。
打ち込むの遅いんですね。

(様子がおかしい)
一人だと(出足)何をしゃべっていいのかわからないですね。
一人でやるのが初めてなんですよね。
…どうしたらいいのかな。
今もうやめようと思っている最中ですけど
あの・・・
ちょっと
むずかしいなこれ・・
これは・・

無理なんじゃないですかね。
ちょっとね。
いったん閉めますね。

(一人ではじめてみたものの
テンパってどうしていいのか
わからなくなってしまって
一旦配信を中止しました。
心を落ち着かせる為にとりあえず
放送内容をtweetしはじめました。
以下tweetないようです。)

【一人でしゃべろうとしましたが、
なんか何しゃべっていいのかわからなくなって閉じました・・】

【21時30分くらいから気を取り直して再開したいと思います。】

【『注意!』という作品は
京都の張り紙を収集するところから始まっていますが、
そのある種元ネタとなったトマソンや
路上観察学会あたりの話からはじまり・・・】

【すこし時間はさかのぼりますが、
近接して今和次郎の考現学あたりのはなしに続きます。】

【これらのことを通して“観察”とは何か 
自分なりに考えどのように『注意!』という作品の中に
取り込んでいったのかということを話たり・・・すると思います。】

【もうすぐ自分で定めた時間が来てしまうわ・・・】

【ひたすら文字を打ち続けるというのはだめですかね】

【あと二分ではじめることになっています】

(再開しました)  
普段は『注意!』という作品がどういう作品なのか
概要をいちいち説明していましたが
いつもやっていると大変なので
(この作品は卒業制作なのですが)
卒業制作時のプレゼンの動画というのがあって
この内容を読み上げますね。
(内容についてはこちらの動画をご覧ください)

今のが作品の概要なのですけど
早くて何を言っていたのか
ちょっとわかりづらかったと思うんですが
基本的には、本を作って
京都の町を歩いてコラージュしていった一枚の平面作品です。

それで、ちょっと…
一人でやるとだめですね。
しゃべろうとすることが支離滅裂になってしまって自分で
何を言っているのかもだんだんわからなくなってきているんですけれども
人に参加してもらうっていうのはすごく大事なことだったんだなっていうのが
今になってわかります。

で、今のが作品の概要で
このUstはさっきのプレゼンの内容をすごく引き伸ばして
一個一個を丁寧に説明していくっていうことなんですね。

今、どこまでやったのかというと
まずは、この作品がブックアートということで
なぜ本の形をした作品にしたのかということですが
しゃべり言葉というのは
情報がその場で消えていってしまうもの…


ちょっとまって…
これ一人だと全然できない。
これやばいですね。
一人だとしゃべれないということに
気づいてしまいました。
頭の中がこんがらがってしまって
まったくこう…
どうしようもない…
どうしたらいいのかな。
これまずいですね

うーん。これまずいですね。
今日はいつも一緒にやっていただいている方が
ドタキャンっていうことで
一人でやろうと思ったんですが
何をしゃべっていいのか
すぐわからなくなるという事態が起こっていますね。
テンパってしまって。

ああああ
だめだこれは。

ちょっとこれどうしましょうかね。

えええ…

うーん。ちょっとさっきはいったん切ってしまったんですが
落ち着くまで
黙ったりしながら(配信は)続けましょうかね。

これは、普通に
Ustでも放送事故ですよね。
出てる人が何しゃべっていいのかわからなくなるという。
ひどいですよね…。

(無言で立ち去り、
麦茶を入れてきて黙って一人で飲んでいます。)




そうですね。
というわけで、誰にも見られていないと思って
しゃべるという感じで。
まあ、ほぼ見られていないですからね。

しかも、文脈とかをわかってもらうっていうことも
あきらめてしまってしゃべりましょうかね。

(コメントを読んで)
ありがとうございます。しばし、リラックスしています。

(先ほどの内容の続きにもどります。)
こういうしゃべり言葉は
時間がたつと消えてしまうし
同じ空間にいる人にしか伝わらないものだったと。

しかし、
ある時から文字というものが生まれて
その時から言葉というのは
見えるし運べるし複製もできるというものになった。
そして、文字の支持体が紙みたいなものになってくると
紙は薄いという特徴があったり
(文字を)読むことを考えると紙のサイズは限られてくるし
サイズが限られているので
文字っていう時間軸にそって一元的に伸びていくものが
行というかたちで小っちゃいページの中におさめられていって
おさめられていったものが何枚も重なることによって本っていう
かたちができますよね。

(同じ言葉の伝達でも)
しゃべり言葉のときにはなかった
めくっていく動作や
見開きという別の行為が生まれたと。
だから本というのは
別のものを何か比喩的に表現するための
受け皿になるんじゃないかなと思ったんですね。

加えて、
この作品をつくるにあたって
自分のネガティブな部分が
非常に深くかかわっています。

それは、どういうものかというと
前回、前々回の放送では私は
『絶望していたpart1』
『絶望していたpart2』っていう形で
やってたんですが
詳しくは、テキストアーカイブを見ていただくとして…

その中で一つ取り上げるとすると、
やっぱりエコっていう言葉が自分にとって引っかかってたことなんですよね。


2010年の段階で
エコっていう言葉は僕にとって
ブラックマジック(黒魔術)的な言葉だったんです。
それは、地球環境を大事にしましょうという話が
なぜ黒魔術的な言葉なのかというと…

例えば、インディアン…ネイティブアメリカンとかの
話とかで自然信仰的なものを今でも大事にしている
動物を捕りすぎちゃいけないっていう話がありますが
あれって狩猟採集生活をしているときに
食糧となる動物を捕りすぎたら居なくなってしまうので
あんまり動物を捕りすぎると、
自分たちの食糧がなくなるから
自然を破壊してはいけないっていう話で、
すごくレスポンスというかね・・
それが、明確じゃないですか。

あなたがそんなことすると環境によくないから
あなたはそれをやってはいけません。
っていうのが
身体感覚としてわかりやすいレスポンスが
あることとして成立しているのかなというと
そういうわけではないですよね。
工場とか車とかそういうものが
いっぱい動いていてそういうものの
総体が環境に負荷をかけている。

だけど私たち個人は
そういう大きな仕組みの上に
乗っかって生きるしかないんですけど
私たちは、単にそういう大きな仕組みのパーツではなくて
自我とかがありますし、
自分自身が独立したものとして
認識しているわけですよね。

エコっていう言葉は、
あなたが気を付けましょうって言ってて
すごく良いことに思われるんだけれど
それは、自分が乗っからざるを得ない
“仕組みのほうがやってる過ち”なので
それに対して
あなたも責任を持ちましょう
ということを押し付けてて、
自分たちはその仕組みの中でしか生きざるをえないのに
いきなりひとりひとりで直していきましょう
っていうことになると
自分の一個一個の行為が
全部自分たちの生存環境を脅かしているような
行為に思えてきてしまうんですよね。
そういうふうに考えると
にっちもさっちもいかなくなってしまうので、
(エコという言葉は)
自分の行為を制限する
黒魔術的な言葉だなと思ったんですよ。

で、まあ
私自身は、ものづくりをやっていく中で
これに絶望するまでは、
仕組みのほうがおかしいんだから
仕組みの側に回ろうっていうふうに考えました。
だから、工業デザインっていうことに対して
アプローチしたわけですけど
それは、私個人はうまくいかなかったんですね。

そうやって結局
さっきの
身の回りの動物捕りすぎたら食べる物なくなるんで 
みたいな話みたいに
自分の身体感覚として
わかりやすいところからやっていかないと
全然動けなくなるし、
それ以上の責任っていうのを
とりあえず
自分はあんまり考えないようにしたんですね。

そこで、自分の地元であり
ずっと暮らしてきた京都という街をテーマにして
作品をつくるということが
2010年の今自分にできることだなっていふうに思ったんですよ。

というわけで、さっそく…
というか ようやく本題に入れるわけですけれども。
本題に入るまでに1時間13分もかかってしまったというね…
なんでしょうね…
今までの一時間くらいなんだったんでしょうね。
非常に申し訳ないですけどね。

part2に続きます。