2017/09/05

インタビュー(6)山田毅



語り手:山田毅 聞き手:田川莉那
取材日:2016年4月12日

山田毅(やまだ・つよし)

1981年東京都生まれ。身の回りの生活や人、場所を観察し、そこから紡いだ物語を映像や舞台など様々な形態で発表している。『Open Diagram』(2016年)では、京都市立芸術大学の移転に伴う空間と時間の繋がりをテーマに作品を制作した。

                              


なぜインタビューを繰り返すのか、なぜ作るのか。
 
田川:山田さんは、美術作家と呼ばれる人たちに
インタビューをされてきたと思います。(※)それはなぜですか?


※:山田は、2015年より、「いま”つくる”ということ」と題して、様々な人に”つくる”ことに関するインタビューを行ってきた。

山田:なんで作家はものを作るんだろうって思っているんですよ。
去年たくさんの作家にインタビューして、
多くの作家と呼ばれる人たちが、ものを作ることで何をしようとしているのか、
世界をどう捉えて、何をしようとしているのか、
自分もそれの一員なんだけど、
その小さなあがきにも似た、とても無力で
なんかとても馬鹿らしい行為にも思えるんだけど、
それがいったい何なんだろうと。


田川:『Open Diagram』については、そこを踏まえると、
今どのように思っていますか。


山田:『Open DIagram』っていう展覧会が作り出すパワーで、
自分は幸せになっているんだろうかとか。
お金が稼げているわけでもない…600人くらいに見られて、
何かが変わっているんだろうかということをずっと問い続けている。
もちろん、隣にいる1人とか、近くにいる10人とかからしか
何も始まらないということは頭ではわかっているけど、
そういうコミュニケーションというか…展覧会を作るにしても、
広報やるっていうことにしても、
1個1個、誠実に何かを考えなきゃいけないんだろうなって。
この誠実とは何か、ちゃんとやるっていうのは何か、
っていうことをずっと考えていて。
僕は、それを自分の中から見出せない時に、
物語に頼って見いだすことが多くて。
だから僕のこういう感覚は
村上春樹の「スイッチが入れ替わる」みたいな表現とかに
近しいのかもしれないとか、


ハリー・ポッターの世界とか…。
ハリー・ポッターの世界は僕はとても美術に近しいと感じていて、
それは、ハリー・ポッターの世界には魔法使いと人間の世界があって、
それが、日本における、美術やってる人と、
美術わからないと言っちゃう人の構造に似ているというか。
なんか、その世の中に魔法というものがあるというのはわかっていて、
けど、どこか忌み嫌っていたり、自分には関係のないものだと思っていて、
ただその魅力もわかってたりして。
だけど魔法っていうものが何なのかは説明はされていないし。
ものを作り出す力というのが、武器みたいなもの、
科学のようなものにもなり得るし、
本当になんだかもわからないアートっていうものも作り出せる。
それがハリー・ポッターの中では善の力と悪の力みたいな表し方だけど、
元の魔法は一緒であって、それは力の表し方、使い方でしかない。
1人1人の魔法使いが何をするかということと、
表現者たちが自分の表現をしたことで何を作り出すかということは
すごく近いと思っていて。
 
もう一つの話をすると、『鋼の錬金術師』っていう漫画。
錬金術の話だから、「等価交換」っていう、
何か「等価なもの」でしか新しいものが生み出せないんだけど、
その時、アーティストはゼロから生み出しているのではなくて、
作品を生み出す時に、作家は何かを失っているのかもしれない、
という連想をして。
じゃあそれは何だろうと。
それはもしかしたら魂のようなものかもしれなくて、
それを燃やすことで絵画だったり彫刻だったりを
生み出しているかもしれなくて、
もしかしたら、もっと違う、体力とか(笑)
でも、もしかしたら本当にそうかもしれなくて。
そうだとしたら、「無限に生み出している」と思いたんだけど、
「無限」ではなくて、全然、表現っていうものは
有限なものでしかないっていう考え方もできたりとか。
そういうふうに物語を読んでいる、他の物語が逆に表現というものを
表してくれているのかもと。
表現ってなんだ、作家ってなんだろうとか。
結局僕も、ものを作るというところから
逃れられないというところがあって。
だから、それをなんか、常に考えていて。
やっぱり、それを表現をしている人たちに対して、
とても愛着があるから、変な世界ですけど、好きなんすよ。
その好きっていうのを、
単純に他の人も好きになってもらえたらいいなと思っていて、
そういうものづくりをしていきたいと思っているし、
だから、教育普及に近いし、アーティスト支援とか
僕だけじゃなくて、指向性として、僕がやるときも
もちろんそういうことを考えるし、盛り込むんだけど、
一方で、僕だけではない、美術とか作家っていう世界って面白いよね、
っていう世界を広めたいというのと混同している(笑)
だから、全体を盛り上げるような考えで
ものを作ったりすることもあります。


好ましいと思う、作品におけるバランス


田川:只本屋(※)でも、面白いお店同士で連携をとって
盛り上げていこうとされていますね。
山田さんの作品に、
『ハリー・ポッター』や『ノルウェイの森』の本を
ミキサーにかけて、それを漉いて1枚の紙に変え、
額装したものがありますが、
「本」も美術と同じように好きなのですか?


※只本屋:フリーペーパー制作者ではじめたフリーペーパーの専門店で、月末の土日だけ店舗を開けている。現在は名古屋店や伏見店など活動を広げている。山田は、ここで代表を務める。

山田:本屋さんに聞いたんだけど、本屋さんって本は好きだけど、
本を所有したいわけじゃない、本の魅力を伝えたいわけだから。
本に触れ合うきっかけを作れる本屋さんがいいって、
僕が話した本屋さんは言っていて。


そこにあるのは、ものとしてあるものだから、
もちろん愛着はあるけど
その一方で、そのテキストは
数万冊と出ている本のものだから、
なんか、ものとしての1冊の本が
グチャグチャになっているというだけではなくて、
そこからその本に興味を持って、
他から手に入れるということができる媒体だ
っていうことがまずあって。


僕は舞台出身だから、「原作に演出を加える」
という発想を持っていて、
本をミキサーにかける
ということはそこから発想しました。
だからたまに、
本をミキサーにかけちゃうことが
悲しいっていう人もいて、
それは好きな作品を壊している
という捉え方になるんだけど、
僕は、その本が好きだからできるし、
演出できるし、という発想に近い。
「もの」でしかないし、
「もの」でしかないから、
言語をなくした時に、
また違う捉え方もできる。
そして何よりも、
意味のわからない行動であること。
僕がやっぱり魅力的であると感じるのは、
理解できるところだけじゃなくて、
理解できない、不思議だなっていう部分がないと
ダメだと思っていて。
全然わからないでもダメで、
全部わかるもダメ。つまらないから。
そのバランス。
ああ、ここまではわかる。
でも、ここからはわからんみたいな。
僕は物語や映像を制作する人でもあるから、
時間軸で考えているんです。
だからバランス的には、最初のあたりの6割ぐらいは
「わかる、わかる」って言ってほしいんですよ。
徐々に、時間が進むごとに
「あれ、わからなくなってきたぞ、分かりたい」と。
その後に、「本当にわからない瞬間」を見せたい。
「置いてかれた」という。
その先に、興味や面白いや
関心というのが生まれてくると思うんです。
そこに、「自分と作品の差」のようなものがあると、
わからなくても面白かった気するわ、みたいな。
というようなバランスで考えています。
ここまで話してきたけど…。
僕は、自分の作品は雄弁に語れない人で。


田川:語っていいのか、ということですか?


山田:それもあるし、
そこを自分で言語化しないようにしている。
みんなとよく「アカデミックな場で作品について喋れないよね」と。
喋るべきところは、違うところな気がしていて。
絶対的に言語化しないほうがいいということ
もあると思うので。
そこは、カギカッコ付きで空いているんだけど、という。
それでしかないのだけど、とかとかを考えながら、
モノを作ったり、活動をしているのかな。
本屋をやっているのも、ただの本屋さんをしたいわけではなくて、
なんか、「稼げない」本屋をやっているっていう
不思議さがないと僕はダメなんです。
だって、「仕事じゃないんでしょ」
っていう。訳の分からなさ。


田川:「趣味ではなさそう」っていう。


山田:そうそうそう。「配るだけでしょ」とも見えて。
「それは何?」っていう、謎かけのような。


作品制作における土地や歴史への所作についての反芻


田川:この話を、
『Open Diagram』や作品における時間軸の話に繋げてみたいんだけど、
只本屋は、何をやってるかわかりやすい部分がある。
「タダの本を置いてる場所」。
その一方で、「じゃあ、なぜ?」ってなった時に、
やっていることの面白さから、
また一段、時間差で、分からなさ、
興味を惹く部分に出くわすと、私も思います。
それで、『Open Diagram』では、
山田さんが出展した作品は妖怪ぬりかべだ、と。
作品で行われていることは非常に分かりやすい。
小学校5年生の教室の入り口が、コンクリートの壁で塞がれて。
廊下には、小学校5年生の山田毅少年が遠足について書かいた作文が
横に一列で貼られている。
その作文が貼られた下には、
教室の中が見える窓が開いていて、そこを覗くと、
カーテンが閉まり静かな教室の中央に、
机と椅子が1組がポツンと静かに置かれている。
行われていることは、分かりやすい。
というか、見やすい。
幼さへの漠然としたノスタルジーを感じたりして、
分かった気になります。
ですが、見えてるけど見えてない部分。
ブラックボックスもあって。
それは、壁が何で出来ているか、
山田さんに聞いたら教えてくれる部分でもあるけど。
その壁は、京芸のあちこちに落ちている作品の残骸が
混ざってできたコンクリートの壁。
全体トークで山田さんが言っていたように、
コンクリートはメンテナンス、修復材の代表格で。
移転してくる京芸が、
その修復材のコンクリートに混ざってる。
これはどういうことなのかな、って考えました。
小学校の教室へ入れなくしているのは、
「京芸なのかな?」とか。
でも、批評性とかではない次元で
作ることが行われているという直感があり…
壁を立てているのは、
文字どおりにも作品的にも山田さん個人なのではないかと。
この小学校の教室に入れない山田さんなのかな、
山田さんは何をしているのか。何を感じたのかなと。


山田:『still moving』(※)の時には
『sujin maintenance club』(※)で
街をリサーチしたんですけど、
コンクリートは町をメンテナンスするときの象徴で。
コンクリートで建物が建っていき、
また壊され、コンクリートが残っていく。
その繰り返しが崇仁という場所にはあって。
だから、そのコンクリートを使って、
その想いみたいなものを固めようと。
建築技法的な話から、
作品とかを固めようという話がもともとあって、
そこに、僕と崇仁との物語を
混ぜ込もうっていうのも思ったんだよね。


ずっと思っていることなんだけど、
その土地に住んだこともないし、
その土地の歴史も知らない人たちが、
その土地のことや歴史を知らないといけないんだろうか、
というのがずっとあって。
これは違う話かもしれないけど、
僕が武蔵野美術大学で働いていた時に、
ついていた先生たちは60歳くらいで、
未だに現役でバリバリ働いている。
彼らは若い世代に
何かを託そうとしてないんじゃないかとある時に思った。
上を敬うとかは当たり前なんだけど、
どこか、挑戦する機会を与えられていないとか、
古い慣習に従うとかに対する反感があった。


自分が教えるようになると、
今のもっと下の世代に自分が伝えようとしていることが
届いていないような気がしたんですね。
同じ日本語なんだけど、
時代が違うと、
翻訳をしてあげないと伝わらないような気がした。


もともとある歴史を踏まえなくてはならない
ということに対して、
常識人の山田毅は「踏まえなきゃだめ」
と思っているけど、
既成概念を壊さないといけない
という思いもあるから。
そして、人間という生き物は優しいから、
そういう常識や歴史に触れてしまった時に、
そこから逃れられないのではないかなと。
だから、僕は崇仁という場所に
基軸を置かなかった。
部落地域であったこととかをね、
自分の中に取り入れようがないんですよ。
それぞれ人間が抱えている問題は
大小あれあると思っているし、
差別も受けていると思っているので。


それがベースの話だと思っていて。
当時の話に戻ると、心臓の悪い彼女がいて。
そういう人は、日常生活が送れない。
そういう人と共に生きている時に、
彼女にとっての0ベースは違う。それが、日常。
彼女にとってみたら、僕は健康すぎるわけ。
という意味では、僕が異常者なの。
だから、人によってベースが違うだけで、
あそこが部落だったという状態は、
こちら側の視点だし。
そう考えると、真っ平らなの。
だから、そこだけを考えるというのではなくて、
残される沓掛のことも。
それが僕の他の世界とのつながりなんだよね。


僕は、多くの人に対して、近寄らないし、
離れないけど、それを見ようとする。
けど、それは熱っぽくない。
それが僕の関係性の作り方というか。
そういうのを…「壁」としてつくった。
それは、壁の、向こう側とこっち側とか、透けて見えてくるというのもあるし。
けど、音とかは聞こえてくる。
でも踏み入らない。見えるけど、それは、逆も然り。
他の作家に対して、どんどん介入したり、感情的になったり、
なぜそこまで入っていけるんだろうという疑問もある。
あの壁は、僕と世界と、を表したことなんだろうな。
だから僕は、あのラインナップの中で、
一番訳のわからない作品を作ったなとも思っていて。
文章とかがあるから、読み解けそうだけど…。
わざわざ京芸からいっぱい石とか拾ってきて。
砂は。京芸の運動場でゲートボールをやっている人たちの横で穴を掘りました。


※『still moving』:京都市立芸術大学移転を契機に企画された展覧会。2015年3-5月に元崇仁小学校および、周辺地域にて、国内外のアーティストが参加し開催された。会場設計に建築家の長坂常氏が参加した。


※『sujin maintenance club』:RADによる『Still moving』内の企画の1つ。複数のアーティスト等が、崇仁地域の屋外にある様々なものをそれぞれの方法で「修復」した。その様子が、『Still moving』にて展示された。


田川:今尾くんが
「3階にこの質量のコンクリートのものがある
ということがいい」と言っていて。


山田:そういう読み解きもできるなと思った。
作品を解体する時に見に来て言ってくれた知人が
「壁を壊す」ということに注目していたんだけど
それはピンときていなくて…。
それは世代の差なのかも知れないけど。
壁はあくまでも目の前にあるもので、

壁を壊しても、壁はまだあるんだよっていうことを考えています。

(おわり)