2017/09/03

インタビュー(2)熊野陽平


語り手:熊野 聞き手:山田毅、田川莉那
取材日:2016年4月12日

熊野陽平(くまの・ようへい)
1986年生まれ。普段の食事や街の光景など、身近な出来事を題材にボードゲームを考案・制作し、それを自ら遊んだり、他の人に遊んでもらうことによって「運命」について考える作品を制作している。
『Open Diagram』(2016年)では、元崇仁小学校の建物と立地を活かし、複数のボードゲーム作品とプレイドキュメントなどを展示した。


                              

出展作品について


山田:『Open Diagram』が終わって、ある程度期間が経った今
振り返ろうと思っているんですが、
今回、熊野さんは、どういう作品を出展しましたか?


熊野:まず、京都市立芸術大学が京都駅の東側に移転してくるんですが、(※)
そこにある元崇仁小学校(※)で展示をするということを企画しました。
それは、自分の家が崇仁地域のある下京区に近い南区にあって、
でも、南区と下京区は近いけど、
行政区分的には違う区域であるということになっていて、
物理的にもJR京都駅から東西に延びる線路で
区切られてるっていう感覚があって、
京都市立芸術大学がそこに移転してくることを聞いた時に、
近くだけど「北側なんだ」って思って…。


※京都市立芸術大学は、2023年に京都駅の東側崇仁地域に全学が移転することが2013年に発表された。

※元崇仁小学校:京都市立崇仁小学校だった施設。2010年に閉校になった。2023年の京都市立芸術大学移転のために校舎は取り壊しになる。体育館などの一部施設はそのまま残される予定。


山田:それは跨がないの?南区には入んないんだっけ。移転後の大学は。


熊野:入らないんですよ。
ただややこしいのが、
下京区って基本的にあの辺りはJRの線路で南区と区切られてるんですけど、
崇仁地域だけ、線路を跨いでる。


山田:南区にも崇仁地域の一部があるということ?


熊野:いえ、線路よりも南側の崇仁地域も下京区ですね。


山田:下京区が、出っ張ってるんだ。へえ。


熊野:物理的には線路で区切られてるけど、
行政区分的には別の場所でまた区切られてるっていう、
そういう誤差がある感覚っていうのは、面白いなと思ってて。
自分の作品では「ゲーム」をモチーフにしたものがあるのですが…
えっと、例えば将棋だったら駒、囲碁なら石といった
ゲームで使われる”トークン”というものがあります。
これはゲーム上の役割が識別できる記号として
成立しなくてはいけないものなんですが…。
将棋や囲碁のようなゲームはアブストラクトゲームっていうんですけど、
アブストラクトゲームのトークンのように抽象化されてるものが、
もし記号性を失ってしまった時に、
どういうふうに人が対応できるかっていう作品を以前から作っていて、
地域の区分とか、線路で区切られてるとかっていう、
こっち側とあっち側っていう境目が微妙に揺れ動いてる感じっていうのが
けっこう自分の制作にも近いし、
実際に自分が感じているこの境目の感覚に近くて、
京都市立芸術大学がそこに移転してくるってことは
そういうものを想起させるものでした。
なので、崇仁で作品を展示しようって考えた時には
そのことをテーマに作品を作ろうと思いました。


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崇仁地域の特性みたいなものっていうのが
柳原銀行(※)とかに行くと見れるんだけど。
そのあたりのことは、展示に含めづらいだろうなって思ってて。
だからなんかわりと個人的なそことの関係を表現することになりました。


※柳原銀行:柳原銀行記念資料館のこと。1899年に設立された銀行の建物を改築し、1997年より地域の歴史資料などを展示する資料館として運営されている。


あと、私の作品は、7作品展示したんですけど、
それは、1つの作品の中に色んなテーマを詰め込むのではなく、
1つの作品には1つの問題を取り扱うようにしています。
でも、ここでやろうとしてること総体は、
作品単体の1個のテーマだけで表現できるものじゃないな
っていうふうに思っていて、
小さい作品をわりといっぱい見せて、
その関連性で見せるっていう見せ方をしています。


展覧会企画の経緯について


山田:ちょっと話を変えると、
熊野さんはこの『Open Diagram』っていう展覧会の発起人じゃないですか。
もしかしたら『still moving』(※)の話にもなるかもしれないんですけど、
なんでこの展覧会を企画しようと思ったのか。
っていう話をちょっと聞かせてほしいなと。


※『still moving』:京都市立芸術大学移転を契機に企画された展覧会。2015年3-5月に元崇仁小学校および、周辺地域にて、国内外のアーティストが参加し開催された。会場設計に建築家の長坂常氏が参加した。


熊野:『still moving』でウィークエンドカフェとかのお手伝いをしていて、
僕と同じようにほかにも手伝いに来ている学生はいました。
学生が来て、何かをやっているという状況が
わりと京都市立芸術大学っぽいなと。
その時に、人がここに移ってくるっていうのは面白いし、
重大なことだなと思ったので、
京都市立芸術大の学生がそこで展示をするっていうことができれば
いいんじゃないかな、ということを最初に思いました。


※ウィークエンドカフェ:京都市立芸術大学美術学部教授 小山田徹による『Still moving』内の企画。開催期間中に崇仁地域の屋外で行われたオープンカフェ、誰でも参加でき、食べ物の持ち込みも可。5張のティピーテントが並び、焚き火を取り囲むながら様々な交流が行われた。


山田:『still moving』への関わりが、
『Open Diagram』を企画するのに影響しているんですね。


熊野:それはありますね。
今はきれいになっていますが、
最初に小学校に入った時には物がたくさん置いてあって、
とても何かに使えそうな状態ではなかった…。


山田:それはまだ建築家の長坂常さんが手を入れる前ですか?


熊野:手を入れる前ですね。
2014年に見学に行った印象はそういう感じでした。
特に利用されてない廃校といった感じで。
閉校小学校を利用した演劇なり美術の展示なりっていうのは、
けっこうやられてるし…。


田川:京都市は特に…。


熊野:京都市は特にだし、けっこう色んな地域でやられてきてて。
で、そういうものと被るから特に新規性は無いと思ったし、
もし、何かでここを使うということがあっても
「わりと普通だな」ぐらいの感じで。
そこで自分がなにか関われるかなっていうのは、
最初、建物だけ見たときは思わなかったですね…。
でもそこに実際にウィークエンドカフェとかで
学生が手伝いに来たりとかで、
人がいて活動してるっていう状況を見たときに、
この場所でなにかやることは
面白いんじゃないかなって思ったんですね。


山田:なんか結局のところ僕は後から参加しているから、
一番はじめの発起の部分って知らなくて。
なんかどういう話があったんだろうと思って。
たぶん『still moving』のときに関わってたのって
本田くんもいただろうし、
黒木さんとかもいたんじゃないかって思うんだけど、
最初にいたメンバーっていうのは誰で、
どういう話から展覧会につながったんだろう
っていうのを知らないんだよね。


熊野:これは今となってはけっこう、
微妙な話になってしまうから、
使えるかどうかわかんないんすけど。


山田:いいっすよ(笑)個人的に知りたい!
やっぱ後から入った身としては。


熊野:さっき言ったとおりのきっかけがあって、
展覧会をやろうと思ったんだけど、それを考え始めた時に、
たまたま一緒に『still moving』の手伝いをしていた本田くんに
そのことを話しました。
そしたら本田くんは、
「@KCUA(※)でインターンしてるし、
学芸員さんともツーカーやから、できますよ」
みたいな感じになって…


※@KCUA:京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)のこと。京都市立芸術大学がキャンパス外に持つギャラリー。学芸員の企画による特別展のほか、京都市立芸術大学の研究成果発表展ならびに教員・在学生・卒業生による企画展などが開催される。『still moving』も@KCUAによる企画。


山田:じゃあやっぱり、
ほんとの発起人は熊野さんと本田くんなの?


田川:私が本田さんから聞いたのは『エラー展』(※)という
京芸の卒業生の安東(睦郎)くんと黒木さんの展覧会をやろうと思う
っていうのはまず全然別の企画としてあって、
それを崇仁でやろうと思ってるって。


※『エラー展』:本田耕人企画による安藤睦郎、黒木結の展覧会。元崇仁小学校では開催されず、2016年3月に『IDOMA』として、大阪・中津にて開催された。


山田:ふーん…


田川:それで、「田川さんも他の展示やりませんか?」って。
一緒に同時期にやったら見てもらえますし、って。


山田:元崇仁小学校を使って展覧会をやりたいっていうのが
本田くんの中にあった。


田川:あったんだと思う。で、私言われたんだけども特に今何も無いから、って言って、
でもなんか手伝えることあったら言ってね、みたいに言った記憶がある。
で、たぶんその時、熊野さんの話とか出てないから…


熊野:たぶん、最初は本田くんは別の展覧会を考えていた。


山田:そしたら熊野さんも企画していて、
同時開催できたらいいですね、みたいになったってことか。
なるほど、その後ウィークエンドカフェとかでスタッフやってる時に、
周りにいた寺嶋くんとか黒木さんとかがいて、
その話がすぐに広がったと。


熊野:そうですね。別々の企画があったけれど、
いつのまにか他のはなくなって、
1つの展覧会に絞られていったようですね。


展覧会の指向性についての模索


熊野:企画を固めてく中で一時期、
制作展(※)の一部(サテライト会場)としてやろうとしていたことがあって、
制作展に乗っかった方がいいんじゃないかって思ったりもしたんですけど、
結局それはできなくて。
僕は、僕らの立ち位置としては、
大学が主催だけど学生が主体的に取り組む「制作展」の一部って
言っちゃってもいいと思ってたんですけど、
今回は学生の自主企画という方向になりました。


※制作展:京都市立芸術大学の進級・卒業制作展である「京都市立芸術大学作品展」の通称。従来は京都市美術館と京都市立芸術大学キャンパス内で行われる。


田川:制作展の一部として展覧会を行うことには
どういう問題がありましたか?
公募にしなくてはいけないとか?


熊野:公募にしたとしても、
普通に学内とか美術館なら条件なく展示できるのに、
ここでやる人だけ
別の負荷がかかってきてしまうことが問題であるというような…


田川:そういうことか。


熊野:そういう指摘があって、
なんか自分らで勝手にやりたいっていうことやったら、
自分たちで勝手にやった方がいいんじゃない
っていう感じになりました。


山田:僕も確かにそう言ったと思う。
僕は広報で入ったんで、
一番最初に「やっぱ学生の展示は見に行かないよ」
っていうような意見を言った気がする。
制作展の「サテライト会場」として開催する
っていうのにすごく批判的だったね。
だからその時けっこう議論を重ねたよね。
作家を選ぶべきかとか、公募するかとか。


熊野:そこの議論は長かったですね。
7月までの期間はわりとその話し合いをしすぎた感じが(笑)


田川:(笑)かなり毎週集まってましたね。


山田:なるほど。


熊野:崇仁地域のあの場所を使った時に、
自分が普段作っている作品を普通に出す
っていうことはできないって判断する人たちが、
基本的にこの展示に参加したので、
学校の進級制作としてつくるものはもちろん力が入ってるけど、
普段の作品をそれをそのまま見せるんじゃなくて、
その場に合わせた作品をつくりたいっていうことになったから。
それは結果的に、
制作展の一部じゃなくてよかったんかな、と思ってます。


出品者として・企画者としての『Open Diagram』


山田:実際、展覧会の企画だけじゃなくて
作家としても展示をやってみた訳じゃないですか。
熊野さんの場合は、
そもそも「その場所でやるコンセプトがある」って言って
他の人を引き込んで、っていうところでいうと
スムーズに会場と多分、作品がマッチすると思うんですけど、
その辺の実感はどうですか?


熊野:その点に関しては
最初に考えたことが、ちゃんとかたちになりましたね。
すっごくたいへんだったけど(笑)
ただ、自分の作品という単位で考えた時
見せ方に関して言うと
ゲームを映像とかで見せようとしたけど、
…結局ちゃんと見せれてないっていう。
なんかルールっていうものを把握して、
実際にプレイしないと分からないっていう、
それを人がやってる所を見ても
あんまり分からないっていう問題はありました。


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山田:確かに。何を作ってる人なんだろう?っていう。
ゲームが表現していることまでたどり着くより前に、
なんかいろんな要素があるから…ゲームもあって、映像もあって。
でも、そこに対する説明はやっぱ無くて。
今回の展示に関しては、作品解説のようなものはないから。


熊野:そう、展示説明がなかったっていうのも、
その、個展だったらその分量とかを
自分で調整して統一できるんですけど。
他の人が文字情報出してないっていうところで、
僕だけが文字情報を長めに出すのは
こう…変だなっていうところがあって。
つまり、キュレーションが入ってなかった
っていう所がっていう、その…


田川:キュレーションを入れなかった?


熊野:そう、それが、いざ展示してみたときに、
なんか、変に統一性みたいなものを考えてしまって。


田川:表面的な統一性という問題以上に、
違う次元で、各自が内的に判断してしまったっていうのが
良くなかったかなと、私は思っている。
展示の仕様がこうあるべきという話になったら、
それに反発するかしないっていうので
問題はは顕在化すると思うけど…。
たぶんみんな各自で考えて、
それをやりとりする基準みたいなものがなかったので、
キュレーターがいないといけかった。すごい反省点。


熊野:そう、だから
キュレーターもそうだし、
実務的なレベルでも
展示全体を取り仕切る人が要るな、
とは思いましたね。


山田:それ言ってたよね。
まあ二者いたってことでしょ?
展覧会を作る人としての熊野さんは、
統一感を出そうとしたら文章を出さない
っていう判断をしてるけど、
どっかで個人として、
作家としての熊野さんは足りないとも思うっていうか。


熊野:要は、手が回ってたら、
皆の納得できる文章を用意できたと思うんですけど。
実際は、手が回らなかった。
皆が企画者になって作品出してる中で、
そういう役割の人っていうのは、
出づらい状況だったっていう難しかった。
もっとこう、人を動員できたりとかしたら…。
あの場所の大きさ的には
もうちょっと人数いた方がよかったかもしれない。
ダクトレールがない中、
照明をエントランスから廊下に到るまで、
全部自分たちで設置しなきゃいけないとか、
そういうのはかなり作業量があったので…。


山田:やっぱり一回目ですからね。
だってどっからどこまで…いや見れる範囲は全部だよっていう、
なんか、「見えないところにに適当に隠すとかだめだよ」みたいな、
そういう美意識のぶつかり合いみたいなのが。


田川:美意識なのか倫理観なのか私はよく分からなかったけど、
多分それが大事なのかなと思っていて。


熊野:いやーどうなんやろう。
美意識の人と倫理観の人と両方いたように思います。


田川:そう、両方ですね。


熊野:倫理観っていうか感情?感情の問題で。
正しいじゃなくて、こうしたいっていう。


田川:こうしたい。


熊野:こう接した方が気持ち良いっていうことじゃないかな。


展覧会、『Open Diagram』のスペシフィシティ


山田:なんかこう、流動的ではあるけど作家やスタッフが、
『Open Diagram』っていうことで、いっぱい集まってきたじゃないですか。
その辺のバランスとかはどう思ってますか?


熊野:なんか最終的には、
出展者のバランスはいいなって思ったんです。
そう…最終的に思ったことっていうと、
今尾くんと黒木さんの2人が、
あの2人は同じ彫刻で同じ学年で、
同じものを観たり吸収したり…
大学にいる間同じようなものを吸収してきたことが
ある程度あると思うんですけど。
あの2人がわりと対極的な存在で、
あの2人の作品があるのが、関係性という意味では
『Open Diagram』の中では大事なことだなと思っています。


さっき言ってたみたいに、
今尾くんが片付けたいのは美意識によるもので、
黒木さんは片付けたいっていうかきれいに扱いたいのは、
個人の美意識というよりかは感情的な部分だと。
その接し方が、
今尾くんの美意識であそこに接した時に、
「きれいにする」っていうことは、
ある意味そこに残留してたものを取っ払って改変するっていう、
まっさらにしてして空間自体を見せるという所にいくけど。
黒木さんのように、他者としてあそこに関わった時の感情としては、
なんかあんまり触れてはいけないのではないかっていう…
それがいいんじゃないかっていう判断になるっていう。


なんか作品がだんだん形作られる時に、
その2つの関係が見えてきた感じがします。
まあ、実際は『Still moving』の時に床が削られていたりするので、
表面に触れていいかどうかわからないというようなことは
すでに突破されていたので、あくまで態度、
ということにはなってしまうと思うのですが。
僕は、ある意味どっちの感覚もちょっとは分かるけど
全部は分からへんっていう。
いやまあ、皆そうかもしれへんけど。


山田:そのグラデーションで観たことなかったから、
すごく面白いな。
そのどっちもわかるけどどちらでもない人…
まあ寺嶋くんはちょっと違うかもしれないけど、
なんか南條さんにしても、熊野さんにしても僕にしても、
ちょっとデザイン志向があるっていうか(笑)。
なんか対極にいる今尾・黒木の2人が
作家性の強い人だなっていう所が
けっこう面白いとこだなって思って。
なんかどっちが言うことも分かるっていうのは、
そういう、違うことを見ているっていうか、
そういう中で自分は何をやるかっていうことではない
この2人が対極にいるっていうのは、すごい面白い。


熊野:うん、そうですね。
あらかじめ分かってたことではなく、
その場にいて面白いなと思ったことは、
それが一番大きかったかなと思います。
でもそれは、そこが見えてきたのは
やっぱり今尾くんがわりとめちゃくちゃやっていったから、
っていうのがある。
めちゃくちゃっていうか…


田川:ずっと展示を作るっていう感じで…


熊野:そうそうそう、作っていたっていうのはあるかな。
そういう意味では良かったんですよね。
今尾くんにとってはすごく良かったと思う。
黒木さんにとっても良かったと思う。
そういう意味で僕の作品の設営は単なる設営で(笑)


田川:(笑)単なる…


山田:そう、そこどうなんですか、単なる設営…


田川:と言いつつも、土の盛りを
こう…ほんとに合わせてしまうか、
新幹線の方に合わせるように盛ってしまうか、
とか…わりと多分会期前のギリギリまで。


熊野:たぶん、その現場合わせの感覚も、
基本的に自分であまり考えないっていうか、
自分の美意識で自分がここにこれを置きたいから
これを置くっていう感覚ではない。
あれも実は、黒板のへりに合わせて
まっすぐピタっと壁につけられる場所が
あの場所しかなかったというだけで…。
土を盛る高さとかも含めて。


田川:なるほどなるほど。


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美術っぽくなさにありうる意味


田川:あともうひとつ聞きたかったのが、
ルールは文章化されていたわけだけど…、
熊野さんは例えば、
南区や、崇仁地域で展示することが、
含まれた作品な訳だけれども。
それを来場者に説明してもよかったと思ってますか?


熊野:言ってしまって良かったのか?


田川:熊野さんの気持ち…


熊野:ああ、
基本的にはそれは言ってもいいんですけど。
どこまでテキストがあればいいのかっていうのが、
なんか微妙で。
造形物とか映像とか状況っていうのがメインの作品で
テキストを展示の中に置く場合、
テキストのデザインとか、見せ方っていうのにも
工夫が必要になってくるので。
なんかそのへんが微妙なところだなっていう…。
これは本質的な部分なのかどうかわからないですが。


田川:例えば、崇仁小学校で学んでた人たちっていうのが
何人か来て展示に見に来てる訳だけども、
その人たちに対しても同じ説明をするかどうかっていう。
その、言い難い相手がいるかどうか?その作品を。


熊野:いや、今回のは特にないですね。
特定の誰かに対して説明できないというようなことは。


山田:前も、熊野さんに話聞いた時に聞いたと思うんですけど。
南区の展示(※)の時も思ったんですよ。
熊野さんの作品ってやっぱり、「美術作品っぽくない」でしょ?


※南区の展示:『みんなみにいくみ・な・み・くエキシビション』のこと。(略称「みみみな展」)2016年3月、ヒスロム作業場(京都・東九条)にて開催された熊野陽平、和田寛司(ランチ!設計舎)企画による展覧会。京都市南区の出身や現在南区にアトリエを構えるアーティストによるグループ展。この展覧会で、熊野は自作ボードゲームとプレイ実況音声を展示した。


熊野:あー、はいはい。


山田:一見。なんていうの、その、一見ね?
例えば僕も本屋っていうのをやってるじゃないですか。
あれは、一見美術作品とか美術活動ではないように見える。
そう見えないものを美術作品として出展することは
どういう意味がありますか?
例えば、熊野さんの場合であれば、
もっとゲーム大会とかゲームやるっていう方向で、
よりゲームを楽しむっていう所から
人がコンセプトにたどり着くみたいなこともできる訳じゃないですか。
ゲームの業界で。


田川:ゲームの設計者然とするっていう。


山田:でも、その…
まあ美術展じゃないですか『Open Diagram』は。
そういう場所で展示するっていうことは
どういうふうに捉えてるのかなっていうのを
聞きたいなと思って。


熊野:うーん。


山田:僕は、だからあそこにやっている只本屋(※っていうのを
展覧会として出すっていうイメージはできなかったんですよ。

※只本屋:フリーペーパー制作者ではじめたフリーペーパーの専門店で、月末の土日だけ店舗を開けている。現在は名古屋店や伏見店など活動を広げている。山田は、ここで代表を務める。


熊野:あーはいはい。


山田:だからやらなかったんですけど。
なんかその辺っていうのを、どう捉えてるのか。


熊野:いや、そこは僕はあれはもう
バリバリ美術っぽい方やと思ってやってるんですけど。


山田:意識として。


熊野:意識としてっていうか、
見え方も別に僕には美術に見えてるんですが、
意外とそうでもないようで、
京都の展覧会をよく周っている
セクハラおじさんとかが
例にもれず僕らの展覧会にも来るじゃないですか。
そういう人も「わしゃゲームはわからん」って。
あぁそうか、と思って。
アートまわりをうろちょろしている変な人たちに
全然絡まれないんですよね…。


田川:うんうん。


山田:うんうん、わかるよ。


熊野:美術に見えないんだな、と。


田川:いやでも多分、それは違っていて…。
その、ああいう人たちが絡むのは
所在なさげな人間に対して絡むのであって…。


山田:(笑)まあな…熊野さんには絡めなさそうだし…


熊野:なるほど。
でもまあ、(社会的には)変じゃない(とされるような)美術関係者にも
あんまり絡まれないので…。


田川:あーなるほど、
でも美術関係者はわりと看板がある人にしか
絡まないって私は思ってるんですけど。


熊野:たしかに、それはあると思います。
でも造形的な作品を美学的な造形物として美術作品を作っている人は、
「普通に」良ければ絡まれるっていう気はします。
自分は、フックアップされることとかは、
一切望まずにやっていくしかないんだなとは思いました。


「参照可能性の芸術」ー造形からみる作品


山田:前も聞いたと思うんですけど、
熊野さんにおける美術ってなんですか?
もう一度聞いとこうかなって、
その、僕は美術的なものと思ってるっていう。
そのこころっていうか…


熊野:僕がよく言ってるのは「参照可能性の芸術」
っていうことなんですが…。
つまり、何かの情報が残って、
それは物質的な…絵の具とキャンバスっていうかたちで
残ってる場合もあるし、
映像っていうかたちで残ってる場合もあるし、
口伝みたいなかたちで残ってることもあるけど。
なんらかのかたちで残っていて“鑑賞”できる状態になっているものは、
基本的に美術だろうと思っていると。大雑把にいうと。


山田:たしかにその考え方でいうと、
あれは美術であるっていうことにはなりますね。


田川:でも、熊野さんの理論を展開すると、
なんでも美術になってしまう。


熊野:そうです。「なんでも美術になってしまう」ので、
今言ったことを定義1とします。
定義1をベースに考えた時に、
何が面白いか」っていうことになってくる。
どういうことが起こったことが、
どういう状態で残っっていることが面白いのかっていうのが
美術作品の評価になると思います。
そして、結果的に残ったものが美術だと。


田川:例えば、私はその基準を
いろんな過去の作品の文脈から考えたりしてしまうんですけど。
熊野さんは…。


熊野:いやいや僕もそういうふうに考えています。


田川:熊野さんの話を聞いてて思ったのが、なんだろう
その、ミニマルアートの起源みたいな。
場所の設定があって、で、その場所っていうのが
わりとニュートラルに考えられていて、
その間の面積であるとか、そういったものに対して、
この水槽はどこに置けるか、みたいな。
そういうふうな意味でのミニマルな、ミニマルアート性みたいなもの。


熊野:何ミリとか決めて線引いてくとかいう。


田川:そう。ここからここで、観客はこう動けるから、
じゃ、ここっていう決め方してそうだなって思っていて。
んで、どうなのかなーって思っていたんだけど…。
で、あと、造形としての美術みたいなものの話を
熊野さんはすることがあるけど。
例えばゲーム作品の場合だったら、
ゲームのルールを決める以外に、
造形の観点で、
自分はこれをやっているっていうことはありますか?
デザインとしてではなくて美術としての。


熊野:え、造形っていうのは狭義の造形?


田川:えっと、熊野さんの展覧会風景を思い浮かべると、
映像、ボードゲームなり、カードなり、天秤なりモノがあると。
で、作品自体を俯瞰すると、ゲームというルールがあって。
ルールを作っているのは熊野さんで、
そのあとそのルールに則ったモノを作ってるのも熊野さん。
そういった造形での熊野さんの指針みたいなもの、
ゲームのルールじゃなくて。


熊野:コンポーネント(※)を作る時の指針…


※コンポーネント:この場合は、ボードゲームのコマや盤などの小道具のこと。


山田:造形の部分。


田川:造形の部分。ルールだけじゃなくて。
そういうものがあった時のモノの作り方とか、
自分の中の基準というか、やりたいことというか。


熊野:なるほど。まあ確かにそれはあるんですけど、
すごい微妙な…微妙なとこですよね。
うーん、何とも言えないなっていう。


田川:微妙なところを私も言ってるのはわかっていて、自分でも。


熊野:だから、それは美術っぽくなさとも関係するとこなんですけど。


山田:そこは重要なんですか?
つまり、工芸的にコンポーネントを作り込んでいく
ということではないということが。


熊野:例えば《忌憚ない会話》では天秤がありますが、
あれも自分で作っています。
あれがどういうふうに造形されてるかっていうと、
そこにも一応条件があって、
角材とかを組み合わせただけで、作ってるっていうか…。
あんまりこう、意匠として手が込んでない感じ。


田川:機能としてあるようにして。


熊野:そうそう、単に機能としてだけ作ってますよっていうのを
見せてるっていうような見せ方をしたくて。
基本的には全部そういう意味で、
さっきの質問の範疇で答えると
そういうふうな作り方をしているということになります。


田川:うん、なるほど。
あと、ゲーム内で登場するカードなのですが、
カードを少しだけずらして並べられるように、
並べたくなるようにグリッドを書き入れていると思うのですが、
あのようなところに、
熊野さんのいう「運命」の範疇が関わっているのか聞きたいです。


熊野:「運命」と(狭義の)造形の関係は、
どうなんでしょうかね…。
プロダクトデザインを勉強している時に
「without thought(考えなしに)」という
道具のあり方について考えている人を知って、
例えば、
ボンネットを台代わりに使ってしまったり、
タイルの目地に傘を立ててしまったり。
人が考えずにやってしまうことに基づいて
造形するということをやっていて…。
要は、アフォーダンスに関連する考え方なのですが。


田川:私は、そのアフォーダンス周縁の考えが、
運命というものにかなり隣接していると思っています。


熊野:水の浮力で勝手にできた線に対して、合わそうとする、
という感覚は、それとも近いとは思います。
2つの線があってそれをちょうど合わせたら気持ちい
ということと近しい。
何に合わせて物を並べるかという時に、
自分にとっていい感じの角度ではなく、
すでに存在する水平線に形をあわせていく。
主体性だけによるわけではない…客観性ともいうような。


田川:物の主体性というのではないかもしれませんが、
物に導かれて、ということなのでしょうか。


熊野:それはあるかもしれないですね。


展覧会のなかでの熊野、展覧会をみる熊野


山田:展示台などの
細部にわたるこだわりがあるという気がするのですが。


熊野:造形物を作る時に
個人的なこだわりを前面に出そうとはしてないですね。
最低限このような処理をしたほうがいいなという判断ですね。
納期と使えるエネルギー、予算を元に仕様を決めていますね。


山田:僕らは作品を作るということとは別に、
多くの人と関わるというような設定、関係性をつくるということが
あったと思うのですが、他者から影響を受けたとか。
展覧会をやってみて、どうでしたか。


熊野:作っている途中には、いろいろと気づくことがありましたが、
やってからは、案外レスポンスがなかったですね。鑑賞者から。


山田:それはレスが欲しかった?


熊野:言いたいことまで
あまりたどり着いていなかったのだろうな、と思いました。
作品も展覧会も。普通に達成度とかの問題で。
今できる作業量は出し切ってはいるけど、
100%をもうちょっと高く設定していた部分もあって、
それができていなかった。
集客、テキスト情報の量とか…。
色んなことを考えた時に、
そういうところまで手が入ればよかったかなと。
その辺が気になっているところですね。


田川:私も『Open Diagram』は
もっと言葉を出さないといけなかったと思っています。


山田:僕は来場人数に関しては、よく来た方だなと思っている。


田川:来場人数に関しては、私もそう思います。


山田:実務的上の話はようやった方だなと。
どこか、僕はこの1回目の重要性を、開催することにおいていた。
それが意識のズレでもあると思うのですが、
僕は、『Open Diagram』を残しておくことには意識がすごくあって。
僕は、一発ぶち上げて、一回で終わる企画を腐るほど見てたので、
そういうのは、あまり意味がないな、
高い志と企画のサイズが伴わないというか。
それは、共有するべきだったし、
それは次からはできるなと思うというか。


熊野:単に僕は、展示というものが主戦場じゃない作家だった
ということに気づいたということはあります。
逆に、今尾君は、あの建物をメディウムというか、
素材として、鑑賞される状態を見せれたということは
ある意味で、100%できていたと思います。
継続的にやっていくことは重要なんですが、
第2弾というのが、
ダラダラ1年間続くということではなくて…。
目標を設定してそれに向けて動くということしかできないと思います。
だから、『Open Diagram』という企画を
「展示」という形式でやることの意味は大きいのかなと。


今まで、展示をやっている時には、
「祭り」という感覚がすごくあったんですが、
『Open Diagram』はあまり祭り状態にはならなかった。
それはなぜなのかわからなかったけど…。


山田:それは何でなの。


熊野:歳のせいかもしれない。


山田:それで納得できたかも。(笑)


田川:それは、ただ見せればいいと思っていないからかもしれない。


山田:歳だからというのは、
生きながら、物は作り続けるし、
発表はし続けるんですよ。
だから、どういう意味でやるのか
ということが重要なのであって。
だから、また繰り返していくから、
そこに対しての妥協とかではなくて、
二度とないことを…という気持ちに人はなれない。


山田:僕、夏前に広報会を開きたいと言ってたじゃないですか。
でも出来なかったことを後悔していて。
経過を見せていくことが一番の広報だと思うんだけど、
それが追いきれいてないということがあって。
チラシを配ることとかではない広報。
広報はもはや、促す役で、
広報マンではないということの共有をしたかったという。
広報だけではなくて。
最後のトークで回収しきれたとも思わないから。
僕は、展覧会という形なのかどうかという話に近いけど、
重要なものが欠けていたのかもしれないと思う。


『Open Diagram』のキュレーター不在性から考える今後


熊野:キュレーターがいて、広報をする人がいて、
という方が、展覧会としてはちゃんとした形になったかなと。
僕らは、でも、そういう形ではないものにしようとしていて、
でも、作家は作品を展示していてということを考えると、
それのやり方としてはそれが正しかったのではないかともあるけど、
でもそれも違うのではないかという…。


山田:僕、なんか、
作家という若者たちがある地域に行って
ごにょごにょやるというか、
結果できたものは、重要なんだけど、
重要ではなかったのかもなというところもある。
一方で、作家は作ることでしか、出せないっていうのもわかる。


熊野:そうすると、次は。


山田:そういう総括的なものなんだと思う。


熊野:展示はするかもしれないけど、
いわゆる作品展ではない可能性があるし…。
パフォーマンスのような短い時間の発表に向けて
時間をすごす、ということでもよいのかなと。


山田:熊野さんが一人間として関わってくれたほうが
楽なんですよ。


熊野:まあ、僕は作品を作らない可能性もあります。
地域の歴史を積極的に紐解いていくというか、
それもありなんじゃないかなと何となく今思っています。
漠然と地域に関係することはできなくて。
そのとっかかりが歴史なんじゃないかなって。
でも、そういうふうに
単に寄り添ってしまうことは危険なんですよ。


山田:でも、もう一回話し合うべきは、
『Open Diagram』って崇仁だけの話だったっけ、
ということだと思っていて。
沓掛という残される土地のことは
どう考えるのかということもある。
だから僕は、本屋をやっているところもある。
美術は地域に入りにくい。
違うところからアプローチして、
でも、やっていることは一緒なんだけど。
というアップデートの仕方もあるのではないかと。


またさっきの話では、考え続けることが重要なのであって、
実現することが重要ではないと思っているところもあって。
もちろん、締め切りとかはあるかもしれないけれど。
熊野さんは、生まれた土地なので、いいと思う。
そうではない身としては、
どういうふうにずっと関わり続けられるかということが
重要なのかなって。
なんか、すごく漠然とした言い方になるけど、
『Open Diagram』をやったみんなは、
ずっと友達でいよう、思い出を語り合おう、
ということからしか出来ないというか。
そういうことしか出来ないのではないかなと。
だから、そういうことは残さなきゃいけいけないと。


田川:山田さんの「ずっと語り合う」というの、すごくありだなと思う。
リー・ミンウェイの作品で、$10紙幣で折り鶴を作って、
それに興味を持った人にそれをあげるというのがあって。
折り鶴をあげるんだけど、$10のお金をあげるということでもあるから、
そのかわりに、半年に一回電話とかでおしゃべりをするということをお願いする。
それは1回で終わる人や、ずっと10年続いたりする人がいて、
これはあまりにもファンタジックなところがあるけど、
『Open Diagram』はその行為自体に自覚的になるのはあるなと。


山田:だから、僕は『Open Diagram』は
メンバーを入れ替えたりとかではなく、
今回関わった人が、
ゆるくでも関われる何かをしたほうがいいんじゃないかなと。
橋本くんも関わるという、何か仕事とかではなくて。


田川:企画中にも、『Open Diagram』はユニットなのか
どうかということの話が一回あったとおもう。


熊野:『Open Diagram』は入れ替わりのあるグループなのか
メンバー固定のグループなのかという。どうかというはなしですよね。


山田:僕はなんか、『Open Diagram』っていう烙印みたいなものだと、
…一生抱えるもの思っていて、ジューってされて!
どこの土地に行っても烙印を押されて!


田川:それは分かる。

熊野:なるほど…。