2017/09/03

インタビュー(1)今尾拓真


語り手:今尾拓真 聞き手:山田毅、田川莉那
取材日:2016年4月12日

今尾拓真(いまお・たくま)
1992年京都府生まれ。様々な場所で既存の設備や空間に介入し、環境を一時的に作り変える作品を発表している。
『Open Diagram』(2016年)では、元崇仁小学校校舎の一定区域の環境を扱った作品を発表した。

                              

今までの作品について


山田:今回、『Open Diagram』では今尾くんは何を試みましたか。


今尾:2015年から1年間、
《work with》というシリーズの作品に取り組んできました。
《work with》シリーズは様々な建物の空調機に配管や楽器を取り付けたり、
ビニールの袋や風船を取り付けたりして、
空調機から出ている空気を音に置き換えたり、 
形をつくったりしながら空間に展開するインスタレーション作品です。
『Open Diagram』では、
その取り組みの延長である《work with#4》という作品制作を主に試みました。

今尾:人工物の多くは、縦横の垂直、水平を基軸につくられています。
真下に対して重力がかかっていて、
物質の下になにもなければ横向けにジョイントが必要だとか。
ものを作る中で組み上げていくルールだとかは、
物理現象にすごく依っているというか。
建物の構造が縦横に組まれているということに近いと思います。


田川:重力や物理的な原理に叶ったところに
四角いものがあって、それが作品にも転用される?


今尾:そういう構造的に作られた建物と、
作品として取り付けた配管や楽器も構造という点で、
同じようなルールを与えて組み上げてゆきます。


出展作品と、作品化しなかったこと


山田:『Open Diagram』ではどのようなことに注目したんですか?


今尾:《work with》というシリーズに取り組む中で、
作品を発表する「場所」に関してずっと疑問を感じていました。
卒業制作や公募展、アートフェアなど様々な性質の会場で取り組み、
それらはそれぞれ充実したものではありましたが、
どの展覧会も
そもそも作品を発表するベースが保障されている展覧会でした。
僕は小山田徹先生のプロジェクトなどを通して関わっていた
同級生や先輩たちに誘ってもらって参加したのですが、
それは展覧会を作るところから発表までを
自分たちで行おうとしているもので、
その姿勢に共感したことが参加しようと決めた理由でもあり、
『Open Diagram』を進める中でも、
それ故の展覧会を
もともと展覧会会場ではない場所で作り上げるとは
どういうことなのかという疑問そのものに
注目しながら作品のことも考えていきました。


山田:今回の作品はどのタイミングで思いついたのですか?
それぞれの場所が決まる前から作品プランは決まっていましたよね。


今尾:元崇仁小学校の建物は全体的に同じようなルールで作られていました。
階段から各階に分かれていて、
さらに各階の廊下からそれぞれの教室に分かれ、
という木の枝のような構造になっていて、
そこを人が行き来するようになっています。
ちょうど僕が元崇仁小学校の本館3階の廊下を歩いていたとき、
本館3階の部屋はそれぞれ色んな団体の倉庫として使われていて、
人はほとんど出入りしていないのですが
それぞれの部屋でそれぞれ何か別のことが行われていて、
その気配のようなものが廊下に漏れて聞こえてくるような体験をしました。
《work with》のシリーズをこれまで何度かやってきましたが、
それらは「作品を施した空間」と「その外の空間」
という捉え方で作品を作っていたのですが、
そうした元崇仁小学校での体験は、
直接《work with》シリーズの空間の捉え方に
新しいアイデアを与えてくれるものでした。


実はその時になるまで《work with》シリーズをするとは決めていなくて、
何をやるかは場所に何度も足を運ぶことから始めて、
今まで取り組んでこなかった場所の歴史や、
過去にその場所に関係していた人を手掛かりに
作品を作ることを考えてリサーチをしたりしていました。


山田:場所の歴史や、
学校に関係していた人を手掛かりに作品をつくることは
やめてしまったの?


今尾:場所の歴史や、場所に関係していた人のことを考えて
作品を作るようなことを今までしたことはありませんでした。
それは初めのほうに話したような人工物の構造や、
その時の人の動きなど、
今この場で起こっている出来事、
…それを横軸の関係性と今は考えているのですが、
そういうものに関心があったというこだと思います。
そんな中で作品を作りながら疑問に思うことを考えていくと
次に縦軸の関係性の事が気になりだしました。
縦軸とは時間の流れのことです。
今ここにある場所は長い過去から続いてきた上にあって、
そのまま未来に続いていくであろうという…。
そんな中で何をすべきなのかなどと、
自分が今まで考えてこなかった場所の
何もわからない歴史を前に、困ってしまうことになりました。


山田:結局それは作品化しなかったんですよね。


今尾:作品の落とし所が見つからなかった。
結局、横軸のアイデアに縦軸の考え方を取り込もうという手段しか
とれていなかったということだと思うのですが…。
ここを解決したと思ったら、ここが解決しない、
ここを解決しようとすれば、ここがうまくいかない、
もぐらたたきのような感覚です。
僕が想定していたところの裏で
矛盾がいっぱいあるなと気づいて、諦めたというか、
そういうものなのだなと思って、
一つの作品で両方を扱うのはきついのではないかと判断して…。


山田:選択するってことだよね。
リサーチとかでいろんなところに関わって、
そうするって決めたということだと思うけど。


アーティストランの展覧会として


山田:ちょっと、話を変えると。
『Open Diagram』はキュレーターのいない、
アーティストランで始まってると思うんですけど、
この『Open Diagram』っていう展示、
一年やってきた流れも含めて、どうでしたか?


今尾:今までの中で一番気持ちよくできた展覧会。
たぶん単純なことなんですけど、
展覧会の中に作品という枠組みがあって、
その枠組みの中で、何かやるっていう考えかたっていうよりも、
自分がやったことが周りとどうつながっていくのかということを
作品としているという行為・プロセスのことを作品と言いたいと。
その視点で作品を考えるということをしたので、
展覧会ということも自分の中では、
あまり作品が展覧会と断絶していない。
地続きという。多くの作品と展覧会ということと違うなと。
美術という制度や展覧会という制度からは、僕は少数派だから、
思い通りにいかないことがたくさんある。
そもそもの考え方が違うから、進めにくいなと。
僕がもっと展覧会に関わることが作品なのに、
「そこはあなた関わることじゃない」って、
こんな直接的な言い方をされるわけではないけど…。
それが前提なんですね。


山田:それは今回の展覧会においても起きていた?


今尾:今回は、みんな理解してくれているし、
僕に似た人が多いとも思うし、
さっき少数派って言ったけど、今までの展覧会とは違って、
そういうことが解り合ってる、もともと関係性があった中で
始まったからこそ一緒にできたという。
自然な流れかなと。
でも展覧会を決められた枠組みの中でやっている人が多い状況を
無視はしたくない。
そういうことも、僕がいろんなことを考える状況の一部だから。
それに対しても対応したい。
それは別のことだけど、それと対応することがまた作品になる。
そのスタンスだからできる表現というのもまた別にあって、
《work with》 シリーズはそういう中でできやすいのかなって。


田川:コマ撮りのアーカイブ(※)は、
美術の展覧会の制度というか、
壁を毎回毎回、塗り替えて、まっさらにして、
傷とか残ってるけど、
そういうことは見なかったことにして、
浮遊している、
という展覧会会場のあり方を考えさせられました。


※コマ撮りのアーカイブ:今尾の作品《before works》2015-2016のこと。


今尾:ノンサイトということなのかな。


田川:そう。今尾くんは、ノンサイトとされているもの、
ノンサイトとして扱われているところに
サイトを見つけるみたいなところがあると思っていて。
今の日本なら、どこにでもある空調とかは、
そのノンサイトという振舞いの裂け目みたいなものなんだろうなと。


今尾:僕は全部をサイト として考えたい気持ちではありますね。


作品を作るとき、外側と内側が反転する瞬間


田川:今回は、サイトの難しさがいろいろあったと思うのですが、
作品を作るにあたって、色々な人と交渉をしたと思うのですが、
どういった人と交渉をしましたか。


今尾:施設管理人さんとは幾度となく交渉をしました。
あとは、本館3階は、別の団体が使っていたので、
そこを一時的に『Open Diagram』の期間だけ貸してもらう
というお願いをした時に、
教育委員会の人ともやりとりしました。
でも、管理しているのは教育委員会ですが
部屋を使用しているのは、写真展の「KYOTO GRAPHIE」という団体とか、
能舞台の団体の人たちだったので
使用している団体とも直接話したいとは思っていたんですけど、
使用者同士が直接やりとりすることではないということで、
それがある意味、『Open Diagram』にとっての制度だった。
元崇仁小学校はもともと小学校なので、
そのまま教育委員会の関連の
市立中学校の校長経験者が施設管理人の職に就いていることとか、
いろんな団体の制度がちょっとずつ入っていたというのも感じました。
それがすごく面白いというか。


田川:やってみて出てきた、わかってきたことがけっこうあったということですね。
元崇仁小学校の持っている、どことどうつながっているのかということ。


今尾:動きながら知っていくというか。
作品が目的なのか、そうじゃない部分が目的なのかが
わからなくなってきて。
反転しているというか。
結局、作品をやったから、いろんなことを知れて。
人間的にいっぱい勉強することとか、
生きている時間が充実するとか。
自分にとって一番いいなと思う部分は、
作品よりそっちの方が大事だったりする。
作家としての自分というより、
人間としての自分が何ができたかということの方が、
作品ができたことより嬉しいというか。
作品を作っている時は、作品を良くしたいという一心でいるけど、
いろいろ常にひっくり返っていく。
自分が真剣にやっていることの外側ってあると思う。
その真剣にやっていると、それが外側になっているとか。
絶対、死角があると思う。


山田:展覧会を含めた、人と人ととの関わりに
つながってくると思うんだけど、
『Open Diagram』としてやることって、展覧会なのかなって。
何が外側なのかなって。
『Open Diagram』って何だったんですかね。
もちろん、展覧会を含めた総体なんだと思うけど。


今尾:展覧会をやろうと言って、展覧会をやるんだけど、
それをやることで生まれる外側があって、
それを何となく想定しながらやる展覧会なんじゃじゃないかなと。
何かをやるには、視点を向けなくてはならないというか。
でも、視点を向けられない部分もあるということに
気づくための展覧会なんじゃないかな。
それはみんな共有できてると思うけど。
自分たちが一生懸命やった結果、
自分たちがやっていないところでつながってるところがあるよね、と。
何でも、僕らがやっている女川のプロジェクト(※)とかもそうだし。
だから、すごく曖昧でいいと思うんですよね。
自分が直接関わっている外側がいいなと思うこともあるし、
内側にこだわることもあるし。
本当の意味での「オープン」は
そういうことなんじゃないかな。
何に視点を向けるかというのが、今後のやることで。
それは、崇仁という地域なのか、京都芸大なのか、
僕たちの関係性だけ、僕たちの関係性を視点にするとか。
そうなれば、どこでやってもいいし。
みんな何にこだわりたいのかということとか、
今後どうするかだと思う。


※女川のプロジェクト:京都市立芸術大学の有志「trams」による、宮城県女川町での活動。お盆の時期に小さな焚き火を住人の方々と囲む「迎え火プロジェクト」などの活動をっている。『Open Diagram』のメンバーでは、今尾・熊野・黒木・寺嶋・橋本・山田が参加している。


この展覧会は、「京芸」にひも付けすぎていたか?
次回の展示に向けて


山田:今回、最初に作家選定の時に、
今現在学生であるかは、大学にひも付くことだったと思う。
今尾くんは今は、学生という立場ではないじゃん。
卒業生は今尾くんしかいないけど、
その部分はスムーズに入ってこれた?


今尾:たしかに卒業しているかどうかという
線引きは意識していたけど、
ほかのみんなと共通の部分はあるし
みんなも同じと思ってくれていると確信していたから、
変なところでのストレスはなかったかな。
崇仁で展覧会をやることで、
京芸の人間関係の人は見に来てくれやすいけど、
実際僕らは京芸以外にも美術以外にも
いろんなコミュニティに少しずつ入っていて、
そういう人たちを全部繋げたいなと思っていました。
だから、個人的にいろんなん人にメールをしていて、
一対一の人間として。
高校の友達とか。
卒業してから知り合った人たちとか。
僕は、関わった人たちを線引きなく場所に呼ぶ、
ということをしました。
人が繋がっていたら、そんなこと起こることだし。
みんなプライベートを持ちたがるところもある。
なんかね、もっと、夜に集まろうぜとか僕はありで。
寝る時間が減るとか、あるけど、
そっちの方が全然面白いじゃん、
みたいな。そういうテンションの人が少ないなと。


山田:『Open Diagram』は、
何をオープンにするかを考えるべきだったかもなと。
交差点のようなところになってもよかったかなと。


今尾:でも、それは僕だけでもいいなと。
そういう役回りというか…、
みんな僕みたいだったらやばいことになる。(笑)
それは、素でオープンになるんじゃなくて、
こういうような仲の良い関係性で
ワチャワチャやってますというのではなくて、
このような考え方が社会にとって大事でしょ、
というのを提示したいから。
そういう役回りもありなのかなって。


山田:なるほどね。


今尾:そこらへんは、ちゃんと次はもっとやりたいですよね。
何をしたら自分たちの
個人的なところでやっていることを打ち出せるのか。
そうじゃないんだったら、
それこそ、同窓会的なものになっちゃうじゃないですか。
それをみんなどうしたいかということですよね。


山田:なんか、めっちゃいいこと言ってるよ。
この1年で一番まとまったこと言ってるような気がした。


何を作品化するか/どう作品化するか という比重


今尾:「感」が、どこにでも宿るというか。
それをどこに宿らせるのか、造形的なところなのか、
僕は考えなきゃいけない。音の「感」もある。
それを、どこの「感」について
一生懸命考えるのかという選択をもうちょっとできた方が、
クオリティー上がったのかなって今からは思います。
僕は、満遍なく「感」を散らしているから。
だから、広く、いろんな人に受け入れられるというか。
全然違う角度から、
いろんな人から褒められたりダメ出しされたりしていて、
それは、「感」を散りばめているからと。


田川:散りばめて、人を作品に向かせる方向にするのか、
それとも「感」を絞るのか、とかあると思うけど。


今尾:「感」を絞るのかという話もあるし、
「感」を散らして、
それによって起こることを考えるのかとかもあるし。
僕は、けっこうそっちな感じがします。
それが結局、作品の中心、僕のやり方をやりながら、
外側を強く意識したい。
一つの作品をやり続けるという感じはない。
今辞めてもいいし。
でも、そっちも面白いよね、みたいな。
下手したら、それは、失敗する人だけど。(笑)
そうなってきた、やりたいけど。むずいなぁ。大変な話。(笑)


例えば、舞台と美術


山田:それは美術の領域でやりたいんですか?


今尾:視点みたいなのは美術だと思いますけど。
視点は美術だけど、その外側を想定した美術。
そういうことは、けっこう思いますね。
それが決断することというか。
美術もやるし、美術じゃないこともやるし、ってなると、
結局中心が失われる。
それは矛盾なんですよ。
その外側と同時にやることは無理じゃないですか。


山田:全然違う話なんだけど、
金氏さんとか久門さんが舞台に来ているのを見ていると
その今尾くんの意識って、そこに辿り着きそうな気がする。
そこで語られる美術は、美術なんだけど、
舞台美術じゃんって、見えているものは思うんだけど。
その時、今までの舞台美術の文脈は語られなくて。
それがすごく気になっていて。
散らしていくって…、
もしかしたら、、一緒なんだけどね。
金氏さんが舞台美術を担当した
チェルフィッチュの公演(『わかったさんのクッキー』)観たけど。


今尾:僕も観ましたよ。


山田:舞台美術って、今までもやっていて、
いっぱいいたけど、動いたりとかしていて、
造形物は昔からあったのに、
美術家が入ってきて、そこがフューチャーされて、
どこの舞台美術でもやっていたわけ。そこと文脈は違うの?っていう。
だから、聞きたいのは、今尾くんはありなの、なしなのっていう。


今尾:あんまり僕は舞台のことは詳しくないのですが、
ざっくり言えば造形の美しさではなくてものの流動性や、
同じものが状況によって違って見えるというようなことを
テーマとした制作をする中で、
舞台美術と関わるということは意味がわからないではないと思います。
ただそうして実際に持ち込まれた舞台美術としての作品が、
演劇と効果的に噛み合っているいるように僕には見えませんでした。
でも興味はあります。
普通にそのことについて
自分の制作で考える機会があるのならやりたい。
塩ビパイプを持っていたりして。


山田:今ので今尾くんのスタンスが分かった。

そう。塩ビパイプ持って行ったらいい。