2012/08/27

vol.3 part3 『観察は消費の力に抗うこと』


KUMAUHEI WORKS CAUTION!!!!!!!!!!!!!!!!!!!! vol.3テキスト版
part3 『観察は消費の力に抗うこと』

ブックアート作品『注意!-京都貼紙地図-』を紹介するUstreamの
放送内容をテキスト化したものです。

vol.3 part3では、
part2の最後に出てきた“観察”という言葉から
今和次郎の考現学の話に移っていきます。
私たちの身の回りの物は私たちに
どういった影響を与えるのかについて
ひとつの(極端な)例をあげて説明し、
物を観察することが
どのような効果をもたらす行為なのかを語りました。


出演
KUMAUHEIWORKS(以下:隈) 画面左下

                              


観察…ってなんでしょうね。
小学校の時の夏休みに朝顔の観察日記をつけましょう
みたいなことがありますけ度…

観察という言葉。
この場合の観察という言葉に対比される言葉は
鑑賞という言葉だと思います。
鑑賞と観察は違うということなんですが…
次のスライドに行きます。

観察の話として
ここでもってくるものは
今和次郎さんの考現学というものです。


で、今和次郎の考現学というと
最近また注目されている感がありますね。
震災があったからというところが
大きいとは思うんですが
最近では、『今和次郎採集講義』という
展示があったので
こういう図版が
本屋さんでも手に入りやすくなっています。



今和次郎という人はどういうことを
やっていたのかというと…
(考現学というのは)考古学の反対ですね。
考古学というのは、昔の物を発掘して
その物を分析することによって当時の生活とか
当時の人がどんなことをしていたのか
どんなことを考えていたのか
どういう仕組みの中で生きていたのか
どんな自然的な災害があったのか
どんな出来事が起こっていたのかとか
そういうことをものを分析することによって
調べていきますけれど
それは、昔のことなので
残っている物からしかしらべられないので
そういう手法をとるのですけれど

現代の事でも同じようなやり方でやろうっていうのが
今和次郎のやった考現学です。
“考近学”とか“考今学”みたいな話ではなくて
考現学、(古の部分を)現代の現としたのもなにかこう
ちょっといびつな感じがしておもしろいですけね。
(モデルノギオともいいますが)

今和次郎はこういうふうに
集落をスケッチしていて


初期のころはこういうスケッチをしていたりとか


このへんは、
銀座の街にずっといて
そこに歩いている人がどんな靴を履いているのかを
収集していて
ちなみに、この調査は全身に及んでいて
どんな帽子をかぶっていたのかとか
タバコを吸っていた人とか
下駄を履いていたいた人は何人いたのかとか
どんな髭の生やし方をしていたのかっていう


ようなことを調べていて
これをまとめたのがこの図ですけどね。


男性女性和装の人洋装の人が何%というふうに
(仮面ライダーWみたいに分かれている)図で
これがインデックスになっていて
これをたどるとタバコの人何%というのが
分かるようになっていたと
で、これ…
おもしろいですね。こういう
食堂の茶碗のかけ方をスケッチしてたりとか


この辺とかは、路上の寝方とかを調べてたりとか
路上の寝方は今和次郎じゃないですけど
考現学の調査として描かれたものですね。

こういうことをやっていたんですけど
今和次郎はもともとは民俗学者の柳田国男についてて
田舎で調査してたんですね。

(本を探す)

資料…あったあった
柳田国男について行って
例えばこう…遠野物語の中で
オシラサマっていう話が合って
ちょっと読むと…
いや読まなくていいか
簡単に紹介すると
遠野の集落に厩(うまや)がある家があって
そこに父娘で暮らしている家があったと。

父親と娘が暮らしているんだけれど
その地域っていうのは馬を非常に大事にしてて
その娘も自分ちで飼ってる馬のことを大事にいたので
寝食を共にしていたらしいんですね。
馬の身の回りの世話をして
いっしょに食事をして
寝る時も母屋ではなく
厩で寝ていたっていう状況でした。

そしてある時、娘が馬の子供を身ごもってしまう
ということがあって
あの… 馬の子を身ごもったということを
父親が知って馬の首を切り落として
桑の木の下につるしたという話があって。

なんでそういう話が出てくるのかというと
実はこの地域では、
母屋と厩がつながってたんですね。
それくらい馬は大事にされていたんですね。
ふつうは、別々に建てますから。
人間の生活と馬の生活が同じ建物の中にあると
例えば、若い男女が一緒に住んでたら
なんかあるやろうと勝手に想像するっていうのは
まあある話じゃないですか。
それが、馬と娘でも同じような想像しちゃんですよね。
そこで、子供を身ごもってしまうというような
話が出てくる。


これは、この話を調査しているときに
今和次郎が描いたスケッチなんですけど
厩と母屋がつながっているという
この土地の建物の特徴を
今和次郎が柳田国男についてスケッチしてて
こういうふうに、ものの構造
建物の構造から人の生活が変わってきて
さらに人の想像力まで
飛躍してしまうということはすごく面白いなと
思っていて
たぶん観察…ものの形を見ていくこととか
そういうのを集めることをしていくなかで
いろんな物の構造の中で私たちは生活していますけど
そこで、明らかに
おかしな想像をしてしまうこととかがあります。
そんなふうにある構造をもった自分の作品が
おかしな想像の飛躍を生んだらうれしいなと思っていて
そんなことを考えながら普段ものを作っているんですけどね。

(今和次郎がのちに
現代を“物”から読み解く考現学を始めたことは
このような民俗学のフィールドワークから
道具や建物の構造から
人の生活が導き出され、
さらには想像力の飛躍すら生むということを
発見していたからだと推測することも
できるのではないだろうか)


…話は横道にそれましたが
今和次郎という人は柳田国男についていた人なんだけど
なにが、民俗学というところから
考現学というところにいく
大きな分岐点になったのかというと
それは、関東大震災なんですね。


1923年にありまして、これがあって
田舎に行って民話を収集したりとか
建物の構造について調べていたんですけど
地震があって東京が焼け野原になっていく
その復興のために
東京の街はありあわせというか
“残ったもの”を組み合わせて
“残った人たち”が生活をしていかなければ
ならなかったんですね。
いろんなものが壊れてしまってどうしていいのか
わからない。
そういうなかで今あるものしか使えない。
昔からあったものはほとんど壊れてしまったので
ありあわせの物を組み合わせて生活していくしかなかった。


その状況を今和次郎という人は手当たり次第に
スケッチしていったんですよね。

今おそらく東北にみんなが関心がいっているっていうのは
つぶれてしまっているので
何とかしていかなければいけないということに加えて、
だからこそ
そこにはエネルギーが生まれているということがあります。

観察をして何か発見していくことができるのだとすれば
今和次郎はそのとき今何をしなくてはいけないかを考えたときに
師匠について田舎の民話を収集していくことではなくて
今東京の街を観察しなきゃいけないと思ったんですよね。
つぶれてしまって復興していくその姿を。

それが今和次郎がやってたことなんですけど。
全部つぶれてしまった異様な状況に加えて
手当たり次第にスケッチするということは、
人が気づかないものまで観察することになるんですね。


目立つもの…
これ買ってくれやっていう
看板であったりっていうのは
商売の為に目立つように作られていたりとか
煽るため惹き付けようとするためっていう
そういう意思が働いているものですが


なんでも(観察する)ってことになると
こういう茶碗の欠け方であるとか
障子の破れ方とか
そういうものまで観察して
人が他人に見せたいというエネルギーが
働いていないところまで観察するということになったんです。


だから観察をすることは、
人を煽ったり惹き付けようとするところから
抜け出す行為だと思うんです。


今和次郎っていうのは
観察の力で消費というものに抗おうとしていた。
っていうことだと思うんですよ。

part4につづく。